余暇を有効に使うには?
民主党政権は、2008年に設置された観光庁の施策の一つとして、再来年をメドに全国を五つの地域に分け、春と秋の大型連休を分散させようと検討し始めました。そのようななか、今年も大型連休がスタートし、みなさんもさまざまな計画を立てて楽しまれていることでしょう。
もっとも、なかにはすっかり年中行事化した“民族大移動”に辟易(へきえき)して海外に脱出したり、遠出を避けて近くの公園や河川敷、レジャーランド、ショッピング街などで家族や友人とのんびりと過ごしたり、自宅で読書やテレビのスポーツ番組を楽しんだりしている人もいるのではないか、と思われます。
そこで、今月は春の大型連休にちなみ、シニア世代の人生設計のなかで、余暇について考えてみたいと思います。
余暇というと、多くのみなさんは「そんな時間があるなんてうらやましい」「もったいない」「暇つぶし」、あるいは「貧乏暇なし、だ」などといぶかる向きもあるのではないでしょうか。
確かに、余暇とはその字のごとく「余った暇」、すなわち、毎日、仕事や家事に追われている合間に生じる時間、といった意味のように受け止められがちです。
しかし、よく考えてみると、余暇とは単に仕事や家事の合間に休憩や休息を取ることができる時間というだけでなく、私たちが個人的に使うことのできる自由な時間としてアクティブに受け止め、それを有効に活用して人生を謳歌すべきではないでしょうか。
ましてシニア世代にとって、余暇とは定年退職前後の自由な時間であるため、余暇をどのように有効に活用して過ごすのかどうかで、その後の人生設計も大きく左右するのではないかと思われます。
老後を「第二の人生」ならぬ「第三の人生」、あるいは高齢社会や長寿社会を「大型余暇時代」と言い換えるのもそのような意味からです。もっとも、そのような自由な時間も無為に過ごせば、城山三郎ならずとも「毎日が日曜日」となってしまいます。
余暇はノーマライゼーション上の生活条件
ノーマライゼーションの生みの親、デンマークのバンク・ミケルセンは1950年代、その実現のための生活条件の一つとして、住居と日課に次いで余暇における活動を挙げています。すなわち、余暇は、決して余った、あるいは暇な時間ではなく、一人ひとりが、限られた時間をいかに有効活用し、毎日、快適な生活を送るうえで欠かせない条件の一つであるとともに、自己形成や社会貢献に努める時間でもあります。
わが国では1981年の「国際障害者年」を機に、ノーマライゼーションは障害者に対してだけでなく、高齢者に対する福祉や住宅、交通政策を考えるうえでも基本的な理念としてとらえ、その後、一般に浸透しつつあります。それだけに、シニア世代にとって、このようなノーマライゼーションの実現のためにも余暇を有効に活用したいものです。
余暇は“暇つぶし”ではなく、貴重な自由時間(都下にて)
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