徒然なるままに
2011年08月25日 09:15
●4月に亡くなった脚本家の高田純さん。
私の大学の落語研究会の大先輩で、かつ私の脚本の師匠でもありました。
崔洋一監督の「いつか誰かが殺される」、神代辰巳監督の「恋文」、美保純をスターダムにのし上げた「ピンクのカーテン」などなど、職人肌の脚本家でした。
先日、ご自宅のある南足柄市まで、お線香を上げに行って来ました。
●「人間を描け」
いつも口を酸っぱくして、こう言われていました。
今こうして「モノ書き」としての仕事も順調なのも、高田さんの教えのお陰だと思っています。
奥様と故人との思い出話に花が咲いていたら、あのショーケンさんが、真っ先に駆けつけてきたとのこと。
生前ショーケンさんは、高田さんの台本に心酔していました。
合掌。
●さて家に戻ると、毎年恒例、この時期の偽善番組とも言われている「24時間テレビ」がやっていました。
偽善も、34回続けば大したものです。
「何もしない善」と「何かをやり続ける偽善」。
どっちがえらいかとふと思いました。
●高田さんが生前主張していた「人間を描く」というのは、まさに「落語」のことで、「澱んだ部分」も描かないと一面的な上っ面な感動しか呼びません。
「暗部をえぐる」というのではなく、「ダメな部分にも優しい眼差しで見つめる」、そんな「清濁併せ呑む」ような表現を心掛けたいなと思いました。
●「陰と陽」。今は24時間テレビよろしく、「陽」の部分だけが表を歩いていくような世の中ですが、「落語」は「陰」を極める世界。
バランスよく努力したいと思いました。
高田さん、安らかにお眠りください。
コメント
<今は24時間テレビよろしく、「陽」の部分だけが表を歩いていくような世の中…
本当におっしゃるとおりで、新聞やテレビを読んでいると空しくなります。
せめて自分では、立場や偏見を正直に自覚した発言や主張を言いたいものだと思います。
しかも角を立てずに伝えるには、落語の語り口が良さそうです。これからも参考にさせていただきます。
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