第一幸福丸の一件
亡くなられた方もいるので、無論手放しには喜べませんが、先日遭難した船の中で助かった3人の方の話には、久しぶりにときめきました。
ペットボトルの水を分け合いながら、励まし合っていたそうで。
この「〇〇し合う」ということが、「人の間」と書く「人間」らしいなあと、とても感動した次第です。
おそらく、あのひっくり返った船の中で、たった一人ぼっちだったとしたら、せまりくる飢えやら寒さやら絶望感やらで、きっとダメになっていたでしょうな。
極限状態の中でも、人を元気づけることで、自らをも元気にさせてゆけるんですから、人間っていいですなあ。
妄想好きの談慶、今回の一件でこう考えました。
押し並べて人間というものは、「ほんとは緩慢的な極限状態の中に向かっているんじゃないか」と。
そして、常にそう考えていた方が、お互い励まし合って仲良くできるんじゃないかと。
だって、人間誰もが死ぬんですよ。
ただその恐怖感を、文明の力を借りて、上手に先延ばししているだけなのです。
日本という一見平和に見える国だって、宇宙レベルの規模で考えてみれば、いつかは必ず沈むのだから、あの船と運命はまったく同じなわけです。
お釈迦様は、「この世は四苦八苦だ」と見事看破されました。
仏教のことなど、専門的に勉強したことのない私ですが、きっと「人生苦しいことだらけ、だからこそ苦しい者同士、それを分かち合って仲良く生きなさい」とおっしゃっているように思えるのです。
あのお三方が助かったのは、ほんとに大きなメッセージだと思います。
「〇〇し合う」、これが人間。
ぜひそんなことを、落語でも語りたいものです。
ですから、私をぜひぜひ、皆様の住む町へと呼んでください。
もちろん、ギャラは「分かち合います」から、ご心配なく!!
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