神様のすること
5歳になる姪っ子が、悪ふざけのあげく親にしかられて神妙な面持ちになるのを見るたび、しかっている妹にむかって「あんたがその年の頃には、野生の猿みたいだったんだからね!」と言いたくなるのを我慢することしきり。それにしても幼い子の親に対する絶対性には驚かされます。
そんな親子の関係性も、月日の経過と共に変化していきますが、一個人として客観的に親の人格を知るのは、親が老いたとき、あるいは看取るに至ったときなのかもしれません。
これは小説家が、「83歳まで生きることにした」と言って、77歳で死の淵から生還した母親を看取るまでの6年間の物語。
「このまま死なせないで」と祈って始まって、その後は、ときに天を眺めて「まだでしょうか」とお伺いをたてる介護生活。そんな日々の中で、母親が時折気だてのいい少女の頃の「京ちゃん」に戻るときにはその来し方に思いをはせたり、ときには亡父と母の性格によるすれ違いぶりを検証したり。その作業の一つひとつが、改めて両親を理解することであり、自分の心を整理するためであったかのようです。全ての作業を終えて、ついに母親が病院で息を引き取る場面のリアリティーは胸に迫まります。
読み終えたときには、「『わたしのこれからの仕事は、書くことと親を見送ること。それ以外は望みません』と神様に点数稼ぎをして小説家になれた」とうそぶきつつ、親の最期を見送るという大仕事を終えた著者の姿に爽快感を感じました。
(by まめたま)