自意識過剰!
著者同様、自意識過剰の出発点はいつかなどと幼児期まで遡ってみたところで思い出せるわけもないけれど、あれは10代も半ばの頃、仲良し3人組の写真を見たA子ちゃんのお父さんが言った「B子ちゃんはいつも自然な笑顔だね」のひとこと。それを聞いて、C子ちゃんである私は軽いめまいとともに、ある真実に気付いてしまいました。「ああ、そうなんだ、写真をとるとき不自然に微笑んで顔の筋肉が気持ち悪い感じ、あの感覚は私が自意識過剰である証なんだ」と。
その後、A子ちゃんは「自意識過剰で何が悪いの?」という、同世代の日本人にはかなり珍しいタイプとして、B子ちゃんは自意識過剰とは無縁の自然体のまま(これも実際は少数派と思われる)、C子ちゃんはどうにか自意識過剰っぷりを隠せぬものかと四苦八苦しながら(多数派のはず)、それぞれの道を歩んでいます。
「負け犬の遠吠え」で一躍時の人となった著者によって、負け犬から遡ること10年前に書かれたこのエッセイ。ひとりでは直視できない問題を、優しい口調で鋭く切り込む術は顕在です。目からウロコだったのは、一般におとなしく控えめだと思われている人も、実は他人の目を気にしすぎる自意識の強さゆえ、といった場合があるということ。はたまた自意識過剰と思われたくないがために、わざわざ「人目なんか気にしないナチュラルな私」を演じてしまうというケースがあることも。
とはいえ、自意識が自分を向上させる要素の一つであったり、全体のモラルを守るといったことに作用するといった効能もあるわけで。美点と醜悪さを併せ持つこの代物、がんじがらめにならない程度に上手に付き合っていこうではありませんか。(byまめたま)