禿頭礼讃
昨今の育毛・植毛産業の活気は著しく、テレビでコマーシャルを見ない日はありません。古今東西、老若男女、「髪」それは重大な問題です。かつて父に大失言をした私も、最近では「なんだか髪が細くなった気がする」「こんなに毛が抜けるのは、季節の変わり目だからだよね? ね?」などと日常で会話することもしばしばです。
現在、雑誌の副編集長でもある著者は、若かりし頃、髪型も含めたそのルックスで女性にモテまくりの青春を謳歌していました。しかし運命の日は突然訪れ、23歳にして遺伝性男性形脱毛症であることを医師に告げられます。治療する手だてはなく(当時)、10年後には細いベルトのように髪が残るだけという残酷な宣告。せめて髪があるうちにと、女性を追い回していた矢先、彼は「運命の人」に出会ってしまいます。しかも彼女は禿げ頭が嫌いらしい。かくして彼は、怪しげな塗り薬、お尻への注射、超音波のヘルメット…数々の代償を払いながら、治療に奔走します。試行錯誤の結果、彼が得たものは…。
軽妙な文章に導かれて、彼に降りかかる状況の変化を一緒に経験していくうちに、かつて鼻持ちならない若者だった彼に対する嫌悪は消え、事態の克服を願わずにはいられなくなります。禿頭(とくとう)に限らず、身体的な変化は誰にだってあることですからね。
考えてみれば、なぜか頭髪問題だけは嘲笑してもよいとされるこの風潮、甚だ疑問を感じないではいられません。(byまめたま)