食堂かたつむり
いい大人がそんなことを言うのは恥ずかしいことだということは重々承知している。なぜ楽しめないのか? 料理に興味津々だった子どもの頃に、あれやこれやと実験しつくしたから…と言っても他人には理解されないので、他にも理由を考えてみる。その1、まずもって面倒くさい。その2、自分で作ったものはおいしくない。そしてなにより、料理は知力と勘を要する。なんとなく私にはそれが欠けている自覚がある。だからこそ、私は料理上手な人を心から尊敬する。
亡くなった祖母の影響で、料理には一方ならぬ思いと技術をもつ倫子。ある日、トルコ料理屋でのバイトを終え帰宅すると、家財道具一式と共にインド人の恋人が消えていた。二人でいつか共同経営するはずだった飲食店の開店資金もすべて。行き場と、ショックで「声」を失った倫子は故郷へ戻る。不倫の子だから「倫子」と名付けたと豪語し、確執の絶えない「おかん」の家に。そして同じ敷地内で母から開店資金を借り「食堂かたつむり」を始めた。一日一組。食材は近所の農家で作られた野菜、野生のキノコ、ザクロ、ときには…。丁寧に作られた料理は、心に錘を抱えた人たちを癒していく。おとぎ話のような展開かと思いきや、一方では「食べる」ということが、優しくて、残酷で、とても現実的なことだと伝えられる。言葉では解りあえなかった「倫子」と「おかん」の関係のように。
それにしても、人は自分に料理を作ってくれる人に心を許してしまう、気がする。料理は理屈抜きで人の心に入り込んでしまうものだから無理もない(かく言う私も、無意識のうちに料理が得意な人になついてしまうなぁ)。
ああ、そういえば最近一度だけ、自分で作ったものががおいしいと思ったことがあった。入院していた母に差し入れたお浸し。そう考えると、やっぱり必要なのは「愛情」ですかね。(byまめたま)