親の家を片づけながら
親の死後、遺された者の実務的な作業として、親の身の回りの片付けに追われます。それは、人間関係、所有物、権利など、その対象はとても多いです。片付けは悲嘆に暮れている者にとって、とても大きな労力を要する作業だけに、「せめて遺言状は残しておいて欲しい」とか、逝ってしまった親に恨み辛みも吹き出してきます。
著者はこの作業を「家を空っぽにするという作業」「親の私生活にガサ入れをする」という表現をもって、その残酷さを語っていますが、まさにその通りなのでしょう。
整理作業の中でこれまでは触れることすら出来なかった両親の持ち物を手にし、多くの品々や私信を確かめていきます。
著者の母親は、ナチスの迫害を受け、親族がアウシュビッツに送られたりした過去を持っていますが、詳しい話は決して著者には語りませんでした。
しかし、残された子どもは片付けを通して、その過去を知り、絶対的な存在である「親」も、生涯抱えていて生前には明かすことの無かったこころの傷を持つ一人の人間に過ぎなかったことを知ります。
この片付けこそが、両親の素顔や、本当の姿を見つめる機会であり、両親の死を受け止める過程であることに気づいていきます。
ところで、本書は世界12カ国で翻訳されています。国家や文化、宗教の違いが会っても、親との別れの感じ方、受け止め方は人間誰しもが共通なのでしょう。
日本にも「形見分け」という言葉がありますが、その形見に触れることで、生き残った者たちは思い出のよすがに浸る時間を得ます。きっと「片付け」と同じで、気持ちを昇華させる時間を与えてくれる、故人の優しさの形なのかもしれません。(byまっと)