暴走老人!
数年前、とある観光地のみどりの窓口の列に並んでいたときのこと、いよいよ次は自分の番というときに、ふらりと一人のおじいさんが私の前に入りこんできた。相手は高齢に思われたので、幾分丁寧に、「すみません、並んでいますけど」と声をかけたところ、いきなり大声で怒りだし、面食らったことがある。私も若干気が短い方ではあるが、このときばかりは「どこにでも変わった人はいるものだ」と思うことにし、それ以上取り合うことも、順番を譲ることもせず、さっさと自分の用を済ませた。
しばらくはそんな出来事も忘れてしまっていたけれど、著者がNHK出演し「暴走老人」の言葉を説明しているのを見たときに、この出来事を思い出し、合点がいった。あのとき、あの老人は、当時常識化しつつあった「フォーク並び」(一列に並んで、空いた窓口に行く並び方)のシステムが理解できていなかったのではなかったかと。久しぶりに窓口に来てみたら、なんとなく以前と様子が違う。不安を感じつつも、「え〜い、ままよ」と列の切れ目に入ってみたら、したり顔の若造に注意された。いや、「このシステムに従え」と命令されているような気がしたのかもしれない。そして、世間からの疎外感を感じてしまったのではないだろうか。
そういえば「フォーク並び」も「エスカレーターで片側に並ぶこと」も、『世の中の常識』として、ある日突然生活に入り込んできた。今のところ私たちは、会社の行き帰り、あるいは休日友人と買い物の途中といった日常の生活のなかで、著者のいうところのこの『透明なルール』に出くわす。そんなとき、たとえ内心動揺していても、「ええ、知ってましたとも」とか「初めて知ったけど、異論はありませんわ」といった態度で受け止め、無意識のうちに順応することに努めている。携帯電話、インターネットが入ってきたときなどもそうだった。
ただ、「年をとる」ということだけでなく、何らかの理由で今ほど社会に接しなくなったり、こんなに目まぐるしく変化していく現代の生活の中で、ある日突然世の中の時間の流れについていけなくなるといった可能性はいくらでもある。そのとき私も暴走してしまうのかもしれない。(by まめたま)