この本の題名を目にしたとき「ドキリ」としました。
親が老いる、できることなら認めたくない事実。受け止めるには痛みが伴います。
かつては強くて頼もしかったはずの親の衰えを認めなければならないという、センチメンタルな痛みが一つ。そしてもう一つは、「いつか、その時がきたら…」と先延ばしにしていた介護の問題を現実のものとして突きつけられる痛みです。
一緒に暮らしていないこと、いつもそばにいて世話していないことに、なぜ後ろめたさを感じてしまうのか? 一つには、個人の自立の問題があるかもしれません。以前に、知り合いのアメリカ人やオーストラリア人に親の老後について聞いたことがあります。彼らは高校を卒業すると実家から出て行くのはあたりまえで、親が年老いたからと言って一緒に住むことはないのだと言います。それでも彼らは、親を敬い、愛しています。無論、バックボーンが違う私たちが、彼らと同じメンタリティーも持つことはできません。ただ、今の生活スタイルを変えられないのなら、変えていかなければならないのは「介護サービス」といったハードの面だけではないように思います。介護する側、される側、今多くの日本人が模索の途中です。
介護の悩みを一人で抱え込むのは苦しいものです。すでに介護をしている人も、漠然とこれから始まる介護に不安を抱いている人も、「みんなはどうしているのだろう?」と考えます。この本には、そんな疑問に答えるべく、46の生の体験が綴られています。体験の一つひとつに明確な答えがあるわけではありません。しかし、その分お仕着せでない、個人に響くたくさんのヒントが詰まっています。
親の介護を通じて、やがて訪れる「自分の老い」についても考えることになります。介護とは、たとえ反面教師だったとしても、親からものを学ぶ最後の機会なのかもしれませんね。(by まめたま)