送り火
あれはいつの頃だったか、幼い頃のアルバムを見ていると、写真に写っているのが子どもばかりで、両親が自分たちをほとんど写していないことに気づき、胸が熱くなったことがありました。そして最近、再びアルバムを見てみると、今度はたまに一緒に写っている、今の私よりうんと若く、けして豊かではないけれど、生きる力に満ちた両親の笑顔を愛しく感じました。
表題作、「送り火」は、東京都心から郊外へと延びる架空の私鉄「富士見線」の沿線の街や駅を舞台にした9つの物語からなる短編集の中の1編です。
主人公の弥生子(やえこ)は、夫と小学6年生の息子とともにふるさとの駅に降り立ちます。すっかり老朽化してしまった公団住宅に一人暮らす母親に、強く同居をすすめるための訪問です。かつてその場所には、人でにぎわうお城のような遊園地がありました。隣接して建設された、通称「ドリーム団地」。団地の購入後程なく、幼くして父を失った弥生子は、その家も、家族の幸せの象徴である遊園地も大嫌いでした。
父の過労死は、自分のせいだったのではないか……。その罪悪感と寂しさで、精神的に早く大人になりすぎてしまった弥生子。閉園してしまったはずの夜の遊園地で、子どものころの無邪気な「やえちゃん」と、自分より年下の元気な両親に再会します。
人は誰しも、自分でも気づかない心の「しこり」をもって生きているようです。そしてまた、必ずその「しこり」と対峙するときを迎えるようです。吐き出し、受け入れ、再生し、そうしてやっと本当の心の自由を手に入れるものなのかもしれません。
昭和の時代、家族の笑顔のために自分を犠牲にすることもいとわない―それが正しいとか正しくないとかではなく―そんな父母があふれていた頃の懐かしさに心いやされる、おすすめの1冊です。(byまめたま)