ページの先頭です。

ホーム >> 家庭介護サポーターズ >> ヘルパー2級 オスマン・サンコンの明るい家庭がイチバン!
ヘルパー2級 オスマン・サンコンの明るい家庭がイチバン! 2008年03月

いっぱいのメッセージありがとう!

sankon080325.jpg 3月11日はボクの59歳の誕生日でした。
 みなさん、お祝いのメッセージをいっぱいありがとう。
 今年の誕生日は、なんと演劇の師匠、浅香光代さんにもお祝いしてもらったんだ。
 家族ぐるみで下町風パーティーに招待してもらった。
 楽しかったし、おもしろかったね!
 舞台の方も、浅香光三魂の名前で出演しているから見に来てね。
 でもね、来年は赤いちゃんちゃんこを着る年になるんだよね。
 「えっ! もうそんなになった?」って思うよ。不思議な感じだねー。



おじいさんの教え

 お互いに謙虚であること。素直なこころを持つこと。
 ボクはアフリカの大地から学んだんだ。大地のいろいろな話を、祖父母や父母から教わってきた。

 ボクが子どもの頃、右足をケガしちゃったことは前に書いたよね。ケガの後遺症が残っちゃって、サッカーもできないし、もうイヤだなぁってコンプレックスに悩んでた。そんなときに、おじいさんから聞いた話を一つ紹介するね。



ギニアの「もったいない」

 日本の昔からの習慣で、お茶碗のご飯つぶを一粒残さず食べるように、っていわれるよね。これは、ギニアでも同じことがいわれているんだ。

 お米を地面に落とすと、お母さんから「オスマン、お米が泣いてるよ」っていわれるんだ。落とした人が拾うまで、お米は泣いてるんだって。
 子どもごころに、「え~! ホントに???」って思ったよ。



日本語を覚えたときのこと

 今から35年前の話。ボクがギニア共和国の一等書記官として日本に来たとき、5つのhandicapを感じていたんだ。だから、正直な話、1週間で帰りたいって思っていたんだ。

 その、5つのhandicapというのは、
1 顔が黒い
2 足が悪い
3 日本は寒い
4 食べ物(生モノは食べれない)
5 言葉
ということ。
 でも、外交官としてギニアを背負って来ているから、しっかりやらなきゃって思って頑張ったんだ。



ページトップへ
プロフィール
オスマン・サンコン
1949年ギニア共和国ボッファ生まれ。1969年にコナクリ大学から、ソルボンヌ大学へ国費留学。1972年ギニア共和国外務省に入省し、同年、日本に大使館を開くために初来日。駐日ギニア大使館に1979年まで勤務。1980年にワシントンDC駐米ギニア大使館勤務。その後、ギニアを日本の皆さんにもっと知ってもらいたいという思いで、1984年に外務省を休職し、再来日。タレントとしてテレビ・映画などに多数出演し、全国各地で講演活動を行う。現在は、タレント活動のほか、ギニア日本交流協会顧問としてボランティア活動を行っている。また、ホームヘルパー2級資格を取得し、お年寄りとの交流にも力を入れている。
メニュー
バックナンバー
その他のブログ

文字の拡大
災害情報
おすすめコンテンツ
福祉資格受験サポーターズ 3福祉士・ケアマネジャー 受験対策講座・今日の一問一答 実施中
福祉専門職サポーターズ 和田行男の「婆さんとともに」
家庭介護サポーターズ 野田明宏の「俺流オトコの介護」
アクティブシニアサポーターズ 立川談慶の「談論慶発」
アクティブシニアサポーターズ 金哲彦の「50代からのジョギング入門」
誰でもできるらくらく相続シミュレーション
e-books