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ヘルパー2級 オスマン・サンコンの明るい家庭がイチバン! 2007年08月

夏祭りで歌いました

 ボクが入っているバンド“アフリカンブリーズ”でライブをするために、七沢温泉へ行きました。
 七沢温泉の七沢荘では、毎年夏祭りがあって、観光客がいっぱい来たり、地元の子ども達が遊びに来るんだ。露店もにぎわってた。
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いろんな露店が出てました



突然ですがクイズです

 突然だけど、クイズです。
 ギニア語で「セレケ」とはどういう意味でしょうか?
sankhon20070821-1.jpg



実は、日本はギニアの恩人なんだ

 少し前の日本とギニアの交流の話です。
 1958年、フランスから独立したギニア共和国が国連に加盟しようとしたんだ。その時に日本は、ギニアの加盟を世界で初めて認めてくれた国。おかげで世界で82番目に国連加盟ができたんだ。だから、当時、日本の国連大使だった松平康東さんはギニアでは有名人なんだ。

 あと、独立後のギニアの地図を作ってくれたのは日本人。
 フランスが植民地支配していたときに、ギニアの地図は存在していたのだけれど、撤退するときに軍事上の理由で地図を壊してしまったんだ。それで、独立後に日本から測量士が来てくれて、ギニアの地図を作ってくれた。これは、NHKで放送された『プロジェクトX』でも特集されたから、知っている人も多いかも。



日本とギニアのかけ橋

 ボクが顧問を務めているギニア日本交流協会は、ギニアへ生活物資を送る活動をしています。
 ギニアは日本と比べてまだまだ貧しいので、生活物資が足りません。例えば、学校で勉強する子どもたちのなかには、文房具を持っていない子も大勢いる。しっかり勉強してもらうためには、鉛筆や消しゴムも必要なんです。



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プロフィール
オスマン・サンコン
1949年ギニア共和国ボッファ生まれ。1969年にコナクリ大学から、ソルボンヌ大学へ国費留学。1972年ギニア共和国外務省に入省し、同年、日本に大使館を開くために初来日。駐日ギニア大使館に1979年まで勤務。1980年にワシントンDC駐米ギニア大使館勤務。その後、ギニアを日本の皆さんにもっと知ってもらいたいという思いで、1984年に外務省を休職し、再来日。タレントとしてテレビ・映画などに多数出演し、全国各地で講演活動を行う。現在は、タレント活動のほか、ギニア日本交流協会顧問としてボランティア活動を行っている。また、ホームヘルパー2級資格を取得し、お年寄りとの交流にも力を入れている。
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