カラオケの十八番は村田英雄
老人ホームに遊びに行くと、いつも一緒にカラオケをするんです。老人ホームでよく歌うのは、『おふくろさん』とか、『浪花節だよ人生は』。やっぱり意外かな。でもみんな喜んで、一緒に歌ってくれる。
ちなみにボクの十八番は村田英雄さんの『花と竜』。あと、細川たかしさんの『矢切の渡し』。松山千春さんも好き。カラオケのレパートリーは36曲ありますよ。
老人ホームで熱唱しました!
老人ホームに講演に行く
ボクはときどき老人ホームへ講演に行きます。
施設の中にギニアの民族衣装を着たボクが入っていくと、おじいちゃんもおばあちゃんもみんなビックリする。しかも日本語しゃべって、演歌を歌うともっとビックリする。
でもね、とてもいい笑顔になるんだ。そういうときって、みんなボケが治ってるような気がする。
いつもみんなと握手するんだ
ヘルパーの資格を活かして、将来やりたいこと
昔の日本と今のアフリカ、とても共通点が多いんです。
日本の高齢者の話を聞くと、水は大切だとか、挨拶をしっかりしようとか、ギニアで母から聞いた話と同じ内容なんです。生活の知恵がいっぱい入っていて役に立ちます。きっと、自然に近い生活では、価値観や感覚が似るんだと思った。日本人もアフリカ人も同じ人間なんだなって感じた。
経済では、ギニアは日本より50年くらい遅れているけど、それでもいずれ日本みたいに高齢化社会が来るんじゃないかと思ってる。いま、ギニアでも都市部を中心にサラリーマンが増えてきた。日頃から祖父母のめんどうを見られる人がだんだん減ってきているんです。
資格を取ったときの話
ホームヘルパーの資格を取ったのは2001年。最初のころは、講義を受けに教室へ入ると、みんな「サンコンがなんでいるの?」ってビックリしてた。その学校では、ホームヘルパー資格を取る外国人が初めてだったみたい。
マネージャーと一緒に受講したのだけれど、ホームヘルパーの講義・実習のスケジュールと、自分の仕事のスケジュールを合わせるのが難しかったな。研修修了まで1年近くかかった。
あと、日本語があまり読めなかったから、講義では先生の話を全部聞き漏らさないようにしたんだ。テキストで読めないところはマネージャーに聞いた。筆記テストのときは、日本語で解答を書くのに普通の人の倍くらい時間がかかっちゃって大変だった。
ホームヘルパー2級資格をとった理由
ギニア共和国の外交官の仕事をしていたころ、ずうっとボクは親不孝だなぁって思っていました。なぜかというと、国のためとはいえ、日本とワシントンに行っていた10年間、1回もギニアに帰らなかったから。だから、会うことができなかった母親に何かできないかなっていつも考えていたんだ。
今でも、拠点が日本で、住まいも事務所もあるからギニアには年に1~2回しか帰れない。だから、母親にはいつもいろいろな品物を送った。腰が痛いって言っていたから、日本の薬や湿布とかも送ったけれど、おとしよりの皮膚には刺激が強すぎて、肌に合わなかったりしたこともあった。