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荒川区男性介護者の会の「オヤジの介護」

かしこまりました奥様

 前回のブログに記載したドキュメンタリー番組の中で、取材を受けていた男性介護者は、親しみをこめて認知症の母親を『カズちゃん』と呼んでいた。そのように呼んでいる理由を聞かれると、照れくさそうに「別に大した意味なんかないよ、『カズちゃん』だから『カズちゃん』なんだ」と言っていた。彼はその『カズちゃん』から息子として認識されていないことが多いようだ。

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 私の母は現在要介護3の認定を受けているが、認知症の診断を受けているわけではない。当然私のこともきちんと認識しており、名前で呼ぶか『お前』という呼称で話しかけてくる。私は普段母を『母さん』と呼んでいる。『母さん』は身体が思うように動かず、食事の世話さえ息子に委ねていることが精神的にかなりつらいようで、卑屈な言葉も度々出てくる。「薬をとって」とか「水を汲んで」などと頼むだけでも気が引けることがあるようで、すまなそうに話しかけてくる。そんな時はあえて「かしこまりました『奥様』」と言ってやる。何か物事の提案をしてくる時も「こうした方がいいんじゃない」と申し訳なさそうに話してくるので、仰々しく「『ご母堂様』の仰せのとおりに」などと答えている。母は呆れながらもけっこう笑っている。私にまだ余裕があるようにみえるからだろう。母には余計な心配をかけたくはないものだ。私自身が疲れから体調を崩している時も、家ではカラ元気を見せて病院にはこっそり行くようにしている。
 逆に母親はというとこれが筋金入りの末っ子である。私にとって伯父・伯母にあたる兄弟が兄・兄・姉の順でいたが奇しくも年齢が近い兄弟から先に亡くしている。二十年近く前、最後に亡くなったのは一回り以上年上の長兄だ。そうした身内を亡くすたびに幼児退行したかのように泣き崩れる姿を記憶している。実家はそこそこ裕福で、母は甘やかされて育ったことを隠しもしない。その末っ子気質からか私には絶えず心配していてほしいようだ。私が長時間家を留守にすると電話をかけてきて「もうダメだ、お迎えが来る」などと弱音を吐く。気になって姉から母に連絡を入れてもらうと「別に普通だったよ」と聞かされる。私からかけた電話をとろうとして転ぼうものなら「このあいだお前からの電話をとろうとしてコケたから」などという話を幾度も繰り返す。「面倒かけて申し訳ない」と本当に思っているならもう少し気をつかってもらいたいものだ。

 とはいえここ十年くらいは母なりに苦労をしてきている。
 『息子介護』のドキュメンタリー番組が放映された2日後、別の局で妻である女優の南田洋子さんを介護する俳優の長門裕之さんの姿が放映された。番組中長門さんは自分の父を南田さんが一人で介護していたことに触れ、「洋子への恩返しだ」と現在の状況を語っていた。私の母も父方の祖母を長く介護していた。幼かった私も手伝ってトイレで祖母のお尻を支えていた記憶がある。元気だった頃の亡き父は、そのことを大変感謝していたものだが、けっきょく晩年は自分の介護も母に担わせてしまった。
 齢80歳になろうという今、母が私に甘えたい気持ちでいるのもやむを得ないだろうか。


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プロフィール
荒川区男性介護者の会
(通称:オヤジの会)
妻や両親を介護している男性、介護をしていた男性を中心とした「男性介護者の会」の先駆け。東京都荒川区を中心に、住み慣れた地域で暮らす家族介護者の支援を展開している。定例会での介護の悩みや意見交換のほか、行政や地域の企業や商店、研究者、他の介護者の会などと連携をしながら、様々な情報発信を行っている。
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