“うつ”とは闘わない
うつ病を患う以前の父は、元々明朗快活な人物だった。どんなに遅くまで酒を飲んでも、毎朝6時ちょうどには車のエンジンをかけて出勤するタフさを備えていた。「病は気から」が口癖で、極端な不整脈をもちながら、70歳まではほとんど医者にかかったことが無い。
その父が気の病に侵されてしまった。老人性うつ病である。
当時の私はうつ病に対する理解がまるでなく、それまでの言動と正反対の状況にある父に苛立ちを覚え、ずいぶんつらくあたったものだ。
父はむしろそのような私の気持ちを理解していたのだろうか。
「叩いてくれ!」
「殴ってくれ!」
「いじめてくれ!」
と私からの虐待をやたら嘆願してきた。堪えきれずに手を上げてしまった事も多々ある。今となってはあまりにつらい思い出だ。
骨密度
母親は歩行困難で要介護3の認定を受けているが認知症の症状は無い。「最近、物忘れが激しい」とよく言うが健忘症は昔からで、私に物心がついた頃から母の「お財布ドコ?」はわが家の風物詩であった。
排泄に関すること
言うまでも無いが、排泄に関する粗相は介護する側、される側の双方にとって最大の問題点だ。
介護する側の立場で言えば肉体的な徒労はもとより、視覚・嗅覚を伝わって精神に与えられるダメージも非常に大きい。介護を始めた初期の頃は特に挫折をあじわう。介護される側にとっても自身の尊厳が保てなくなりやすく、精神の崩壊につながる要因の一つだろう。
介護生活のはじまり
私が介護生活に入ったのは約10年前、亡父の老人性鬱病が本格的になってからだ。鬱の原因となったのはその9か月前に父が50年間一緒に仕事をしてきた人間から裏切られたことだった。
「荒川区男性介護者の会」
私がこの会に入会したのは今から7年前、要介護5であった父が他界して1か月後、介護保険の制度が導入されて1年後からだ。父の存命中、その介護と仕事に追われてとれなかった時間に少し余裕が出来たことと、それまで気持ちが張り詰めて気丈に振舞っていた母も要介護1の認定を受けており、父の葬儀後急激な衰えを見せていたことが動機となった。以来現在に至るまで最年少会員でもある。
初回で印象に残ったのは車いすに乗った奥様を連れて参加されていたご老人の話。本人の齢は90を超え、認知症を患った奥様の介護をしているという。
「昨年より年金から介護保険料が引かれるようになり、減額され始めた東京都の老人福祉手当も2年後には一切もらえなくなるらしい。生活は苦しくなる一方で行政から『早く死ね』と言われているようだ」