教えられるのではなく、学ぶこと
テレビ局の収録空き時間に、ふとしたことから椅子から抱え上げる動きを創り出した甲野師範。
実際にその場に居合わせ、技術を受け、説明もしてもらいましたが、
「こんな練習をしなさい」
「この技術はこのように使用しなさい」
といった「教え」は一切ありませんでした。
講習に行くと、よく聞かれることに、
「岡田さんは甲野先生から、マンツーマンで特別な教えを受けているんですか?」
ということがあります。
しかし、そのようなことは一度もなく、一般の講習会参加者と変わらないと思います。
もちろん、取材などでご一緒させていただく時には、いろいろとお話をうかがうことができますし、技も受けさせていただくことができるので、環境は恵まれていたと思います。
だからといって、特別な「秘伝」のような教えは無いのです。
普通ならば、「こんな稽古をしなさい」と教えてくれるのが普通の先生でしょう。
しかし、甲野師範は教えてくれませんでした。
その代わり、「学ばせて」くれたのです。
我々は新しいことをしようとするとき、教えてもらうことが当然と思っています。たとえば、学校の授業では、先生がきちんと説明し、こんな練習をすれば身につけられるといった道筋を示してくれます。
ただ、なんでもかんでも教えてもらっていると、自分で考えることを止めてしまい、他人に依存的になってきてしまうような気がします。
教わらないということは、最初は戸惑うかもしれませんが、他者への依存心を脱ぎ去り、自立して考え、自分自身に合った動きを追求していく、受身でない、積極的な「学び」を引き出してくれることだと思います。
私の場合、手取り足取り教えられても、人並み外れて鈍くて、その教えを消化できずに、いつも落ち込んでいたので、人と比べられることなく自分のペースで「学べた」ことは大きな意味がありました。
先生とはこんなことが出来るのだと示してくれることが重要であり、わざわざ教えようとしなくても、それを見た各自が工夫して学ぼうという気持ちにさせることが、先生の存在意義なのではないかと、甲野師範を見てつくづく感じました。
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