新しい発想を生む環境
講習会で、ある施設に勤務する方から相談をされました。
「施設では、先輩職員に見られながら、基本技術をしっかりやるようにと指導を受けています。例えば、立ち上がり介助では相手の腰をしっかりと握るというのが基本です。でも、その通りに行うと力まかせになって非常にきついのです。そこで、古武術介護の「手のひらを返す動き」を活用してみました。すると先輩から『違うことをしている!』と言われ、仕方なく基本の動きをしてるんです……」
「手のひら返し」とは通常、手のひらから抱える動きを、あえて手の甲から抱え、そこから再び手のひらを戻し、力の伝達を良くする動きです。最終的には手のひらから抱える状態になるため、見た目も問題がないと思うのですが、少しでも基本から外れた動きをしたため、注意をされてしまったそうです。
しかし、そんな中でも、見た目をまったく変えずに動きの質を変えるコツをその場で考え、行ったところ、良い感覚が芽生えたようで、明日から試してみるとのことでした。そんな制約の中での工夫もまた、技術向上には思わぬ成果があるなと実感しました。
格闘技式介護の波紋!?
実戦空手のクリンチ(相手に組み付く技術)が介護技術に活用できて、しかも介護をする側、受ける側双方に負担がかからないというのは大きな発見でした。
ちなみに、空手の中でもグローブをつけて顔面の打撃もありの「グローブ空手」(キックボクシングに近いルールのもの)の時にクリンチは特に有効でした。
グローブをつけていると、手で相手をつかむことはできませんから、何とか全身をうまく使い相手を抱えてクリンチしようと、頭ではなく体が考えようとします。すると、意外にも力まかせではない動きになってきたのです。とはいっても、なぜこの動きが楽にできるのかということまで頭と体、両方で考えるまでには当時はまったく至っていませんでした。しかし、まずは下手に頭だけで考えるより体を通した経験ができたというのは、後から振り返っても良かったと思っています。
実は、クリンチの動きにはレスリングのタックルの動きも生かされていました。どちらかといえば、タックルの要素が入ることにより、相手を今までよりも楽にコントロールできることが多くなったことが、介護よりも先に起こり、そこから介護への活用が始まったのが正確なところでしょう(実際にクリンチする時には殴られ蹴られて息も絶え絶えの状態でしたが…)。
空手に学ぶ介護術
前回、レスリングをしていた幼なじみから、タックルを応用した移乗動作を実演してもらったことをお話しましたが、彼の技術はもとより発想力の柔軟性は、その後の私の介護技術の進展に影響を与えてくれました。
そして同時期に、レスリングだけでなく、実は空手からも影響を受けていたのです。
偶然に出会った私より1つ年上の空手の師範は、19歳で自身の道場を開くなど、才気溢れる人でした。そして、一人暮らしをする私に、
「家族と離れて住んでいるんだから、何かあったら言ってよ。力になるから」
といつも兄のように接してくれる優しさと強さを持った人でした。そんな師範から、「岡田くんも青春の記念に試合でも出てみたら…」と勧められ、
「いいですね~。一度くらいならやってみたいです!」
今まで空手の経験はないのですが、そこから始めることになりました。
ところが、実際にスパーリング(練習試合のようなもの)をして、一気に弱気になってしまいました。師範の空手は、実際に当てる実戦空手。また空手にとどまらずボクシング、キックボクシング、柔道、レスリング、まだ草創期だった総合格闘技にいたるまで実践的に研究していたため、まさになんでもありの状況。
ボコボコとはこういうものかと、すっかり落ち込む日々。本当に話しにならないくらい弱すぎた自分でしたが、そんな中唯一の得意技ができました。
それは、「クリンチ」でした。
レスリングに学ぶ介護技術
全介護状態の方をベッドや車椅子、トイレなどに移乗する際、基本的な方法を応用して行っていましたが、周囲には腰を痛める職員が多く、自分自身も腰に常時張りがあり、いつ腰を痛めてもおかしくない日々を過ごしていました。
行っていた方法は、相撲でたとえると、まわしをつかんで吊り上げるような感じでした。もちろん、介護の基本という視点ではいけないことでしょうが、現実にはそうなってしまうから仕方がないと、半ば諦め気味のムードすら漂っていました。
そんな中、幼なじみでレスリングインターハイ優勝者のHにその現状を何気なく相談したときに体感させてくれた技術は、驚きを与えてくれました。
椅子に座っている状態から、相手の右脇の下に頭を入れ、右手で膝裏を抱え、左手は握らず、腰にまわしているだけの体勢になります。
何しろHは180cm、120kgという体格の持ち主ですから、筋力によって引っこ抜かれるように持ち上がるのかなと身構えました。
しかし、予想はまるっきり正反対に裏切られました。力まかせという感覚はまるでなく、「ふわり」と浮かぶような感覚で持ち上げられたのです。