落合家の新年の思い出
2009年01月13日 09:00
わが家の新年は、大みそかから元旦にかけての行事に思い出が多い。
家のすす払いをし、家を清め、門松(父が存命中は父の手製)をたて、しめ飾りをし、おせち料理を準備する。
ここまではごく一般的で、私の子どもの頃から少しも変わっていない行事であるが、新年の迎え方は、毎年異なる。何故かというと、元旦だけは家族の行動が自由だからである。ただし、元旦朝は全員そろって、敷地内にある氏神様(春日様と呼んでいる)にお参りし、乾杯とおせち料理でひとときを過ごすことが慣例であった。
2~3日は年始客が多いので、可能な限り家族みんな揃ってお出迎えをし、飲んで食べて、オシャベリして、子どもたちはみんなで遊ぶのがわが家の習慣となっている。したがって、“除夜の鐘”“初日の出”をどこで迎えるかが、毎年話題の中心である。
十数年前、私がまだ千葉市に住んでいた頃のこと。
九十九里浜海岸で、初日の出を迎えながらお雑煮を食べたいと、たっての母の願いがあった。
家族一同、賛成。
紅白歌合戦中盤で千葉の家を出発。やっと着いた時には、海岸は車と人の波。いたるところでキャンプファイヤーが焚かれ、餅や芋、野菜などを焼きながら、初日の出を迎える人達で賑わっていた。
突然歓声が上がった。太平洋の水平線上の一点が輝き、太陽の上縁が現れた。瞬時のできごとであった。
歓声は静まり、ため息と同時に、太陽が昇りきるまで拍手が続いた。
海上に見える太陽のまわりは、赤い光だけではなく青い光も上周辺部に見られ、その輝きは、この世のものとは思えないほど神々しかった。
九十九里浜でのあの感動は、今もわが家の思い出として語りつがれている。トイレに苦労したことも、笑いと共に…。
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