母の手作り半天
昔の女性の教養として、「茶の湯、活け花、鳴りもの一つ」といわれ、私も母から強いられ、学んできた。
ところが母の場合、そのほか和裁、洋裁、編み物もこなし、日常生活に上手に生かしていた。私が子どもの頃は、とくに衣食に関しては、すべて母の手作りだった。また、それがとてもうれしかった。
ひまができると、布団、かいまき、半天など、家族・来客用とたくさんつくっていて、綿入れ作業を手伝った。
なかでも半天は、私も私の友人も、母の手作り半天を喜び、所望した。
綿だけでなく、真綿を加えてあるので薄くてもふんわり暖かく、からだになじみ、心まで暖まる。晩秋、冬期、早春と、私にとってなくてはならない必需品であった。とくに受験勉強に成功したのは、“母の手作り半天のおかげ”と今でも思っている。
半天にも、広袖、つつ袖、袖なしなど種類があって、いずれにも黒の掛襟がかかってる。羽織のように襟は折り返らず、ひももついていないのが特徴。
この半天は、江戸時代以降、庶民の男女が家で普段着の上に、はおって着たものといわれている。
私が愛用した半天のほかに、“ねんねこばんてん”や丸形で綿の多く入った“亀の子ばんてん”などで孫たちは育った。
母は晩年、「私が目の見えるうちに」と、お世話になったヘルパーさん6人にと、一人ひとりの個性に合わせた柄と形を選び、自分の着物や羽織をほどいて手作り半天を作った。
「私が亡くなったら、これをヘルパーさんに差し上げてネ」と頼まれた。
今でもそのヘルパーさんたちと街でお逢いすると、半天の話題で想い出話に花が咲く。
私はこうしたことから、漁師が祝着として用いた「大漁ばんてん」や火消しの用いる刺子ばんてん等々、形も色もさまざまであるが、すべて好きで、民族館などに見学に行っている。
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