好きなものが食べられない気持ち
「食べることは人生の楽しみの一つ」と言われている。
嗜好には個人差があり、その人の食習慣・生活習慣などが影響する。ところが高齢になり、特に寝たきりになると、生命維持に必要な栄養確保も困難になることが多いばかりでなく、精神的・心理的な満足感も得られなくなる。
おいしく食べてもらうには、その人の味の好みを知ることが第一である。甘めの味つけが好きか、しょうゆ味か、香辛料をきかせた料理が好みかなど、日頃の食べっぷりや喜んで食べたときの食品や料理を把握しておきたいものである。
うちの母は羊羹が好きだった。いつも3時のおやつに羊羹を食べるのを楽しみにしていた。
新人ヘルパーさん、いらっしゃい
治療や介護においてよく耳にする「QOL」(クオリティ・オブ・ライフ)という言葉。
単に、「病気の治療」とか「リハビリ」という目的の達成だけでなく、食事、排泄、着替えなどのほかにも不安、ストレス、ふさぎ込みなどの精神的状態などもよい状態にしたい。つまり、生活全体の質の向上が大切だという考え方だ。
在宅介護でも例外ではない。
「病は気から」というように、母の場合も気分がよくなると食欲が高まり、便通がよくなったりすることがたびたびあった。そこで、「おしゃれ」で「話し好き」な母に合った環境づくりを考えた。
タラコにイクラ? いいじゃない!
2008年3月2日。
あるテレビ局で放映された『ご長寿プロファイル 山あり! 谷あり! 元気あり! 幸せのヒミツ見つけ隊!』という番組に、長寿者の食生活面でのコメンテーターとして出演した。
番組のなかで紹介された100歳前後の元気な現役者たちは、仕事の内容や環境はそれぞれ異なる。しかしみなさん、一様に好奇心旺盛で、“人生まだまだこれからです”と輝いていた。VTRをみるにつれ、圧倒されると同時に、大きなパワーをいただいた。
なかでも、101歳の女医さんの朝食が話題になった。
私が在宅介護に踏み切ったわけ
「子は親に育てられ、親は子に介護される」
この話は私の大好きな言葉。介護は気張って大上段に構えても、介護する側が疲れるし、介護される方はもっと疲れてしまう。
自分の人生でいろいろなトラブルがあったときは、「母はこうしてくれたっけ」と思い浮かべると、自然に自分のすべきことがわかってくる。
介護は理屈ではなく、条件反射であり、本能だと思う。
母が寝たきりになったのは、浴室で転倒したときの骨折がきっかけである。
90歳を間近にした母にとって、3度目の骨折だった。1度目、2度目のときも入院治療をしたが、当時はまだ体力もあり、術後の経過も良かったせいか、順調に回復した。
しかし、今回は入院も30日を超え、さらにリハビリも、となると、問題が多すぎる。
母のような患者が病院で長期入院するメリットは数多くある。医療・介護スタッフは心強い存在だし、充実した医療設備なども家族にとっては安心材料である。しかし、病院では万人向けの介護体制しかとれない。いたしかたがないこととは言え、特に食事の問題は、母の闘病生活において見逃せない問題であった。長期入院となると、ベッドに横になったままなので、ますます食欲がなくなり、体力は落ちるばかり。
母は、「私が死ぬときは絶対自宅でね」と言うようになった。私も、「絶対病院で死なせるようなことはしないから、安心してね」と母に言い切った。そこで、在宅介護を決意した。