オレの宝
シャワーを浴び終え、タオルで、まず顔を拭きだしたときだった。
あれっ 臭う?
洗濯をしてキレイなはずのタオルなのに?
顔を拭きながら考えていると、
考えていると、と言っても2秒ほどのわずかな時間なのだが、ハッキリと思い出した。
アアッ! 和ちゃんの臭いだ。
夏。重度認知症の母と一緒の生活だと、節電ということとも疎遠になる。暑いや寒いを声にできないこともあるのだけれど、やはり熱中症が怖い。
もっとも、胃ろうからエンシュアで充分な栄養補給をし、水分補給も確かなわけだから怯えることはないのだけれど、排尿された尿取りパッドを観察すると、尿量は冬場などと比較するとかなり少ない。更には、色も濃くアンモニア臭もキツイ。ネバネバ感もハッキリと目に分かる。自然発汗している証だと想像する。
だから、微妙な選択なのだが、最近は一回の食事の水分量を30ccほど多目にしている。唾液が増え、噎せとなって戻ってくることのないことを祈りながら。まあ、とりあえず順調に事は運んでいる。
話を母の臭いにもどす。
母が寝汗をかくのだ。タップリと背中もお腹も発汗している場合にはシャツを替える。ただ、背中にうっすらと、シャツに染みこむほどでないときは、シャツと背中の肌との間にタオルを挟むようにしている。この方が、オレにも母にも、負担が軽くて済むからだ。
夏になってTシャツ1枚で過ごすわけだから、交換も楽ではあるけれど、拘縮著しい両腕からシャツを脱がせ、身体を拭き、改めてシャツを着せるのには15分ほどの時間が必要となる。発汗が多い場合、身体を拭いても、バスタオルをベッド上に置いて、少し裸でいてもらわないと汗が引かないからだ。
背中に挟んでおいたタオル。母がデイサービスへ向かう前に背中から抜き去る。タオルに汗を感じることもあるが、シャツも肌にもベタベタ感はない。
で、そのタオル。そのまま干しておくのだ。洗濯物は少ない方が良い。まあ、オトコの介護なので、横着ばかりというわけだ。
しかし、臭うとは記したが、母の臭いだ。敢えて、タオルを私の鼻に押しつけて嗅いでみる。変態のようでもあるが、その臭い、いや香りかな? 愛おしく嗅いでいるオレがいた。
臭いを嗅ぎながら
もとい
母の香りに接しながら、父に叱られたことを思い出した。それは、母の優しさをより一層強く振り返ることになるのだけれど。
父と母は共働きだった。だから、オレは小学校からの帰宅は、まずは祖母の家だった。夕飯を食べ終えて寝転んでゴロゴロしていると、仕事を終えた母が迎えに来ていた。
冬の頃、外はもう暗かった。小学校2年生の頃だったと記憶する。祖母の家から100メートルほどの距離を、母がオレを背負ってくれた。毎日ではないけれど、時々してくれた。
オンブだ。
オレは母の背中に顔を押しつけ、母の香りを嗅いでいた。母は事務職であったせいか化粧は濃かったように記憶する。髪の香りも好きだった。つまり、しがみついて甘えていたわけだ。
そこへ、父が自転車に乗って帰宅してきた。途端、怒鳴り声が上がり、母から離され、ビンタを一発食らった。
「小学生にもなって、その様はなんなら? 甘えるのもええ加減にせえ」
母はオレに、ゴメン ゴメン ゴメンなあ と。
それを聞いた父が、母にもビンタ。
もう、オレはどうにも止まらないほどに涙が溢れていた。母も泣いた。
この事件の記憶は鮮明に残っている。
今、母の香りは随分と変わった。
でも、オレへの愛は、今も変わらないと確信できる。
オレが母を支えているのだけれど、ここで文章を書けるのも母のお陰。
詩人・藤川幸之助さんが言う、
支える側が支えられるとき だ。
母の香り。昔も今も、オレの大切な宝だ。
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