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野田明宏の「俺流オトコの介護」 2011年08月

胃ろう交換ドキュメント

 8月15日。母が胃ろう交換をした。実は、今回の胃ろう交換では随分と悩んだ。
 悩みに悩んだ末、結局、胃カメラで確認してもらいながらの交換となった。母が胃カメラを飲んで苦しまないように、ということで西大寺病院の小林院長にお願いして前回は造影剤を入れての交換だったのに。
 ★2月18日&22日の記事を参考にして欲しい★
 しかし、造影剤を入れたら下痢をする人が多いことを後に知った。母がその典型だった。前回胃ろう交換後の数日間、下痢が続きオレは泣きが入った。この酷暑下でオレも夏バテど真ん中。オレもちょっと下痢気味(^_^;)
 なので、母には申し訳なかったのだけれど胃カメラを選択した。
 もちろん事前に相談した。胃ろう担当の奥山看護師からは、眠ってもらうので母に負担はあまりないから大丈夫との声を頂戴したことも追い風だった。
 しかし、オレは弱い。本当に弱い。母に楽をして欲しいと願って造影剤での胃ろう交換を前回は無理を言ってお願いしたにもかかわらず、今回はオレが楽したくて胃カメラでの交換となった。
 オレが、母に対する愛情は本物なのか? 
 今も、答えが出ず終いだ。
 もっとも、母はオレが見ていたかぎり、苦しむことなく胃ろう交換を終えた。胃カメラを口から入れても拒否することもなくスムーズであった。
 小林院長には感謝ばかり。無理なお願いなのに、無理と思わせないほどに気楽にオレの撮影を受け入れてくれた。太っ腹。そして、奥山看護師の笑顔にも救われた。
 さて、この連載も今回が最終回。これまで、オレ流とはいえかなり強引なことも書いてきた。読者方々に参考になったか? 大いに疑問だけれど、この1年と3ヶ月、本当にありがとうございました。
 今回の胃ろう交換ドキュメントは、イメージサンプルとして読者方々の参考になると信じています。
 これから、胃ろう造設・交換を予定されている方々には特に!
 では、以下に写真31枚のドキュメントですが、改めまして長い間ありがとうございました。
 皆さま お元気で。

ベッドへ
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センサーを指に挟む
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数値 異常なし
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点滴パック
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足に点滴針を確保しようにも血管浮かばずアウト
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左手に
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固定
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眠りへ
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腹部エコー検査
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胃ろう抜去のための器具取りだし これを今後の交換でも使用する
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差し込み前
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差し込む
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抜く
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抜き去られて 穴が現れる 3時間ほどで閉じる恐れ
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古い胃ろう 新しい胃ろう
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アッという間に新しい胃ろう装着 
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マウスピース装着中
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マウスピース
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準備完了
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胃カメラ準備OK
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導入
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小林先生 奥山看護師
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全体風景
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胃はキレイ
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胃カメラの先頭が来ているのでピカピカ
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ほぼ止血
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お疲れさま
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15分ほど休息後ベッドから車椅子へ移乗  まだ眠りは深い
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胃ろうがちゃんと装着されている写真を頂く
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微笑み ありがとうございました
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性分とレスパイト

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オレの宝

 シャワーを浴び終え、タオルで、まず顔を拭きだしたときだった。
 あれっ 臭う?
 洗濯をしてキレイなはずのタオルなのに?
 顔を拭きながら考えていると、
 考えていると、と言っても2秒ほどのわずかな時間なのだが、ハッキリと思い出した。
 アアッ! 和ちゃんの臭いだ。
 夏。重度認知症の母と一緒の生活だと、節電ということとも疎遠になる。暑いや寒いを声にできないこともあるのだけれど、やはり熱中症が怖い。
 もっとも、胃ろうからエンシュアで充分な栄養補給をし、水分補給も確かなわけだから怯えることはないのだけれど、排尿された尿取りパッドを観察すると、尿量は冬場などと比較するとかなり少ない。更には、色も濃くアンモニア臭もキツイ。ネバネバ感もハッキリと目に分かる。自然発汗している証だと想像する。
 だから、微妙な選択なのだが、最近は一回の食事の水分量を30ccほど多目にしている。唾液が増え、噎せとなって戻ってくることのないことを祈りながら。まあ、とりあえず順調に事は運んでいる。
 話を母の臭いにもどす。
 母が寝汗をかくのだ。タップリと背中もお腹も発汗している場合にはシャツを替える。ただ、背中にうっすらと、シャツに染みこむほどでないときは、シャツと背中の肌との間にタオルを挟むようにしている。この方が、オレにも母にも、負担が軽くて済むからだ。
 夏になってTシャツ1枚で過ごすわけだから、交換も楽ではあるけれど、拘縮著しい両腕からシャツを脱がせ、身体を拭き、改めてシャツを着せるのには15分ほどの時間が必要となる。発汗が多い場合、身体を拭いても、バスタオルをベッド上に置いて、少し裸でいてもらわないと汗が引かないからだ。
 背中に挟んでおいたタオル。母がデイサービスへ向かう前に背中から抜き去る。タオルに汗を感じることもあるが、シャツも肌にもベタベタ感はない。
 で、そのタオル。そのまま干しておくのだ。洗濯物は少ない方が良い。まあ、オトコの介護なので、横着ばかりというわけだ。
 しかし、臭うとは記したが、母の臭いだ。敢えて、タオルを私の鼻に押しつけて嗅いでみる。変態のようでもあるが、その臭い、いや香りかな? 愛おしく嗅いでいるオレがいた。
 臭いを嗅ぎながら 
 もとい
 母の香りに接しながら、父に叱られたことを思い出した。それは、母の優しさをより一層強く振り返ることになるのだけれど。
 父と母は共働きだった。だから、オレは小学校からの帰宅は、まずは祖母の家だった。夕飯を食べ終えて寝転んでゴロゴロしていると、仕事を終えた母が迎えに来ていた。
 冬の頃、外はもう暗かった。小学校2年生の頃だったと記憶する。祖母の家から100メートルほどの距離を、母がオレを背負ってくれた。毎日ではないけれど、時々してくれた。
 オンブだ。
 オレは母の背中に顔を押しつけ、母の香りを嗅いでいた。母は事務職であったせいか化粧は濃かったように記憶する。髪の香りも好きだった。つまり、しがみついて甘えていたわけだ。
 そこへ、父が自転車に乗って帰宅してきた。途端、怒鳴り声が上がり、母から離され、ビンタを一発食らった。
 「小学生にもなって、その様はなんなら? 甘えるのもええ加減にせえ」
 母はオレに、ゴメン ゴメン ゴメンなあ と。
 それを聞いた父が、母にもビンタ。
 もう、オレはどうにも止まらないほどに涙が溢れていた。母も泣いた。
 この事件の記憶は鮮明に残っている。
 今、母の香りは随分と変わった。
 でも、オレへの愛は、今も変わらないと確信できる。
 オレが母を支えているのだけれど、ここで文章を書けるのも母のお陰。
 詩人・藤川幸之助さんが言う、
 支える側が支えられるとき だ。
 母の香り。昔も今も、オレの大切な宝だ。

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胃ろう再考

 胃ろうについて再考したい。

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 上から見ると、こんな感じでお腹まで繋がっている。

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 専門用語は避けたいので、というかオレも未だに良くしらない。胃と栄養が入る管が連結される前ですね。

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 そして、驚くこと。前回胃ろう交換して5ヶ月少し。8月半ばには改めて胃ろう交換しないといけないというのに、胃ろう周辺から浸出液が漏れることがない。乾いている。不良肉芽に至っては全くない。目力ではだけれど。
 これは、介護者にとってのストレスがスコブル軽減される。病院を替え、医師も当然代わった。胃ろう器具そのものも、医師の説明ではオリンパスの最新式のモノだそうだ。だから、他メーカーのモノは云々? などと力むことはしない。
 たまたま母にビンゴだったのかもしれないし、次回交換後にはどうなるかも不透明だ。ただ、お腹の肌と胃ろうの隙間がかなり狭まったことは確かで、この辺りに善循環している要素があるのかもしれない。
 夏。今年も暑い。あるグループホームの夜勤を撮りに出向いたとき、一人の職員が目眩から早退していった。室温は27度から28度になっていた。が、この温度設定は利用者向けに設定されているもの。動く職員が働く環境温度としては暑い。入浴介助などすれば尚更だ。それが複数人となると、ガッツの世界に彷徨い込むことになる。オレも、カメラに三脚付けて動いていたら汗 汗 汗。
 職員が、個室にいる利用者さんに問い掛けた。
 「どうですか? 暑いですか?」
 利用者さんからの返答は、認知症とは思えないほどにクリアな回答だった。
 「暑いんか? 寒いんか? 分からんな」
 そうなのだ。オレも、正にその言葉どおりを体感していた。背中の汗が冷えて、Tシャツの後ろが冷たく感じるものも、身体全体はといえば暑いのだ。
 とても複雑で微妙な温度&湿度設定が必要になる。こういうとき、特に気配りしないといけないのが水分補給。お年寄りは、喉の渇きが鈍っている。ましてや認知症ともなれば、
 「喉が渇いたかな?」
 の質問自体を把握することさえ、中度程以上の方は判断できないはず。
 水分補給。夏は当然だけれど、常に、文字どおりに生命線だと承知していなければならない。
 話が少々逸脱したけれど、胃ろうにすると、この水分補給の患わしさから介護者は解放される。
 口からモノが入らなくなる。オレも1時間半ほどを費やして3度の食事を母に食べさせていた。
 美味しく食べる。
 こんなことは夢物語だ。栄養を詰め込む。水分を流し込む。半強制的でもある。母が、認知症の人が生き残るために。母は、本当に一生懸命だった。苦を背負いながら食べさせられることに。
 もっとも、この時期になると水分を流し込んでいたら誤嚥性肺炎に直結してしまう。だから、食事もお茶もトロミで粘りをつける。
 今、父や母を、胃ろうにすべきか否か? 迷っている方々も多いはず。オレは強く思う。胃ろう管理は、看護師云々語られているけれど、少しの時間を割けば自分のモノにできる。難しいモノではない。簡単、と言い切っても良いとオレは思っている。不器用の極めを自認するオレでも出来たのだ。
 だから、もし、これからも一緒にたいのであれば、ただただ眠っているようでも愛おしいのであれば、オレは胃ろう造設を薦める。ご本人がNOを選択していたのなら、方向性は改めて模索の必要に迫られるのだけれど。
 オレ個人は、胃ろうという器具? で、母との連結を強く感じることができる。
 それは、“絆”だと強く信じることができる今日この頃だ。



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プロフィール
野田明宏
(のだ あきひろ)
フリーライター。1956年生まれ。約50カ国をバックパックを背負って旅する。その後、グアテマラを中心に中央アメリカに約2年間滞在。内戦下のエルサルバドルでは、政府軍のパトロールにも同行取材等etc。2002年、母親の介護をきっかけに、老人介護を中心に執筆活動を開始。2010年現在、83歳になる母と二人暮らしで在宅介護を続ける。主な著書は『アルツハイマーの母をよろしく』『アルツハイマー在宅介護最前線』(以上、ミネルヴァ書房)など多数。『月刊ケアマネジメント』(環境新聞社)にて、「僕らはみんな生きている」連載中。
http://www.noda-akihiro.net/
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