和ちゃんと一緒に!
今日は7月最終の金曜日。7月29日。と記しつつ、今日アップする原稿を今日に書くわけにはいかない。まあ、頑健で体調に自信満々であれば、アップされる10時頃ギリギリまでに書いて、メール送信ボタンをクリックポンだ。
しかし、今夏の猛暑・酷暑だ。55歳のオレにはとてもそんなパワーはない。このブログに穴を空けることが心配でストレス上昇。だから少し早め。2日前に 今日 を記させてもらっている。
今日。今日に拘るのだけれど、今日から母の認知症在宅介護が10年目に突入する。実際は丸々9年間を在宅介護に明け暮れたわけだが、それでも10年目。二桁に乗ってしまった。
その日は2002年7月29日だった。認知症確定診断を受けるために、岡山市北区にある精神科専門の林病院を訪ねたのは。オレは、この確定診断日少し前からオレのホームページ内に“和ちゃんと一緒に!”を書き始めた。当時はブログなどないから、コツコツと面倒な作業にあたった。
7月29日に脳のCT等を撮り、31日にアルツハイマー中期~後期という確定診断が下された。以下は、29日と31日の日記から抜粋。
★7月29日
診断については林病院に資料あり 降圧剤はアムロジン
さいさきが良かった。タクシーの運転手さんが、和ちゃんが働いていた当時、つまり西大寺商業協同組合時代のことを覚えていてくれて話しが弾んだ。運転手さんは以前、配送業をしていて和ちゃんの勤務先には頻繁に立ち寄っていたとのこと。
★7月31日
藤原先生との会話テープあり 私と藤原先生
診断結果は、アルツハイマー中期~後期。長谷川式簡易知能評価スケールでは30点満点の7点。
100-7さへ回答できなかった。
オレの場合の在宅介護年数は、確定診断を受けに行った日からカウントされはじめている。しかし、誰でもそうに違いないと確信するのだが、まさか在宅介護年数が二桁になろうなどとは、在宅介護初日には想像すらしないはずだ。想像しても恐くて、その想像を打ち消すこと必定なはず。
365日×9年間=3285日
初日にこの数字を想像すれば、気が遠くなるはず。
“頑張る”という言葉が嫌で“踏ん張る”を文語・口語で使用した。かなり以前のメールアドレスの頭は“fumbaru”だった。徹底していた。
踏ん張り続けて今日に至った。まだまだこの在宅介護は続くはず。続いて欲しい。母と一緒に過ごしたい。でも、楽ではないので、
“踏ん張り続けさせて欲しい”
という表現が妥当だと思う。
本当に、本当に、いろいろあった。
母と買い物に出かけ、帰宅した途端、玄関先で母がズボンを下ろしそこに放尿したこと。
混乱期。デイサービスの花見が我が家の近所だったので自転車飛ばしてオレも参加。しかし、皆の目前で アホウ となじられ涙したこと。
まだ立つことができた頃、母を立たせてパッド交換をしていた。完了の合図代わりに、ポンとお腹に触れたら、そのまま母は後方へ。落ちた場所が悪く、小さなタンスの角に後頭部を打ち付けた。瞬時から血がドクドク溢れ出し、尿取りパッドで出血部をおさえながら救急へ駆けつけたこと。5針縫った。
このまま、延々と箇条書きができてしまう。
だけど今、写真のような母と過ごせることに歓びを感じ、チョッピリ幸せでもあるような気もする。
まだまだ、和ちゃんと一緒に! だ。
コメント
野田さま
これはスゴイですね。豪快。
でも、お母さん、いつか怒りますよ。
新天地で二人が再開したときに。
熊夫さま
これ、超広角で偶然に撮れました。
顔が伸びているんですね。
でも、大丈夫です。
母は、こういうことには寛大ですから。
と、理解しているのですが ネッ
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