今、母の幸せの瞬時はある
母がデイサービスお休みの日、オレは当然、一日を母と一緒に過ごすことになる。今、母の調子は低空飛行ながらも安定しており、厳しい介護環境下にあるわけではない。もっとも、ある瞬間から突然に悪化することも覚悟の範疇ではあるけれど、それを心配していてもはじまらない。
「今夜あたりは、もう覚悟されていた方がいいですよ。ご親族、招集されるならなるべく早い方が」
医師からこんな言葉を頂戴してから2年、3年生存しているお年寄りは珍しくないのだから。
アルツハイマー病。介護者の姿勢次第で余命の長さは大きく異なってくること間違いない。と、オレは信じている。
ここまで読んで、
「じゃあ、私の親はアルツハイマーを患って1年もしないうちに肺炎。あれよあれよという間に逝っちゃったけれど、私の親に対する姿勢が悪かったのか?」
画面を見ながら憤りを感じている方も少なくないはず。
オレは、オレがそう信じて介護している、ということで、オレの姿勢が正しい介護だとは全く思っていない。間違いだらけだ。
とはいえ、オレは、オレなりのスタンスでしか母の介護はできない。だから、逆に考えれば、オレがオレを信じてやらないことには在宅介護の緊張感を日々維持できないのだ。
さて、母と丸一日を一緒する日、母の傍で30分ほど継続して母を観ていることがある。オレなりに、オレの調子が良い日に実践することが多い。
直ぐ傍にいてやりたい
介護者の体調の善し悪しは、介護者の気持ちのあり方までも左右する。
で、ジックリと観察していると、母がとても穏やかを通り過ぎて、幸せど真ん中にいるような表情をするときがある。カメラ片手なので直ぐにパチリンコ。
なにか夢でも見ているのだろうか?
こんな発想をすると、母は夢を見ることが出来るのだろうか? と疑問符も湧くが、一体どうなんだろう? 今更、多幸症でもないだろう。
上記の写真。見続けてきてオレなりに結論づけた。
母は、母なりに幸せな瞬時、というのがある。
これは、介護者であるオレには勇気百倍。
というのも、オレの在宅介護も10年目直ぐ間近だ。つまり、母もオレに介護されること同じ年月。
「鬼畜アルツハイマーとよく戦った。不出来な息子の介護にもよく耐えた。もう充分だ。これ以上は苦しむこともない」
こんなことを考えること、増える今日この頃であった。が、母にも幸せを感じる瞬時があるならば、鬼畜との戦に終止符を打つことはない。まだまだ戦うのみだ。
更に思うこと一つ。
母も、オレと一緒にいることが楽しいのだ。
オレ流楽観論かもしれない。
しかし、在宅介護者を長く継続・維持するということの基礎固めには、楽観を調達してくることも必定だろう。
悲観にくれながらの道のりの終点に、明るいモノがあるとは想像できないから。
コメント
すごくいい写真ですね
ほっぺたもつるつるして、ふくふくして、とてもリラックスしたお顔ですね~
わたしもこういうふうに、してあげられるかな
ゆかぽん さま
お誉めにいただき
ありがとうございます。
とはいえ、
エンシュア効果絶大。
ある意味、
怖し!
といったところでしょうか?
でも、
母に なにか嬉しいことがあったんだ
と 私は私に言い聞かせて介護を続けています。
お母さんの表情、幸せそうに私は見えました。介護するのに、苦労もありますが、楽しい時間もあります。私も、父の介護悔いなくしていきます。
モー さま
はじめまして。
介護だけでなく
人生は山あり谷あり。
苦労の分、
楽しい
がより深くなると
私の介護体験から確信します。
悔い ですか?
これ、私は悔いだらけですけれどね。
モー さん は、ファイッ!!
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