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野田明宏の「俺流オトコの介護」 2011年05月

藤川幸之助さん講演会 in 赤磐

 5月23日、岡山県赤磐市にある5つのグループホーム主催で藤川さんの講演が開催された。
 5つのグループホームとは
 あかいわ あさひ 桃の里 和楽の家吉井 ひなた
 共催は
 赤磐市地域包括支援センター

 この講演の切っ掛けの切っ掛けは、やはり、藤川さんの“けあサポ”連載後、オレが“けあサポ”に連載し始めたことにある。そうでないと、繋がり、というモノができなかったから。それと、この講演では、けあサポ編集部のT女史に大変にお世話になった。感謝!
 もちろん、主催&共催方々の奮闘努力の結晶であったことは間違いない。
 いろいろ書けば切りがない。だから、源は、“けあサポ”であったということ。

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 23日午前10時33分。藤川さん岡山着。オレはJR岡山駅で出迎える。満願の笑顔を向けられオレも一安心。なにせ、鳥取 高知 岡山と3連戦最終日だったから。
 藤川さんとは姫路で面識のあるGHひなた職員の車でまずはGHひなたへ。

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 そこで昼食。藤川さん、駅弁が好物とかで、何種類かの駅弁が用意されていた。
 美味い 美味いを連発。
 腹ごしらえして、講演会場へ。熊山英国庭園。バラが見頃だったのだが、雨。パラソルのカラフルさが目立つばかりでありました。

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パワーポイント等の調整に少し手間取り10分程度遅れて講演開始。
橋さんとパソコン画面を見つめ打ち合わせする藤川さんの目は鋭かった!

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講演開始。

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この日の出だしは、詩の朗読から。

『越えていく』
東日本大震災で被災された方々へ 藤川幸之助
 
崩れひび割れ押しつぶされ
車も家も何もかも波にのまれ(冒頭のみでスミマセン)

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この後は、写真ドキュメンタリーということで。

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CDでの詩の朗読中に

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お母さんが好きな歌 旅愁を熱唱

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2時間の講演終了 深々と一礼

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花束が送られ 地酒も

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そしてサイン会へと ファン一人ひとりとの濃いやりとり

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全てを終え、主催&共催の人たちと一本締め

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最後は記念撮影

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藤川幸之助
気さくで 心根が優しく ガッツなオトコでありました。

オレ、今度、長崎へ行くことに!
「野田さんなら、お袋と一緒のところ撮ってもらってもいいですよ」
次回会うときは、幸ちゃんと呼ぼうと秘かに企んでいろオレであります。



排便管理

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 母の日にプレゼントされたメッシュのシューズ。まだ、デビュー前。予行演習で母に履かせてみた。ナイスフィット。デビューは、6月からかな?
 KAZ UKO
 シューズと同色の刺繍に優しさが溢れている。ありがとう。
 
 さて、母は5月14日(土曜)にデイサービスで排便をした。もちろん自然排便ではない。排便用の座薬をまずは注入して数時間後、トイレに座らせてもらい摘便同様の形で事は進んでいく。
 この実践が4年近くも継続されているのに、オレはまだ1度も現場を見たことがない。もっとも、トイレが狭いので、見学するとしたら格闘している職員に迷惑なはず。
 で、この日の排便についてはオレからの依頼だった。本来ならば、前回が5月9日(月曜)だったので5月16日の月曜が排便予定日だった。つまり1週間おきなのだが、排便予定日というよりは摘便予定日と表現する方が正しいような気がする。事実、1週間内での自然排便がほとんどないから摘便に頼っているのだから。
 もっとも、希に、尿取りパッド交換時にウンコの顔が見え隠れしていることもあるらしく、直ぐにトイレ誘導となる。
 基本は1週間おき。では、なぜ? 1週間経過していない5日目で排便させてもらったかということになる。
 実は、5月21日(土曜)から3泊4日でショートステイを予約している。となると、ショートステイ先での排便となる。ショートでの場合、浣腸液を持参する。入院なら浣腸液など必要ないのだけれど、ショートの場合は持参となる。これは食事も同様。入院の場合、エンシュアは病院が提供してくれる。だから、3泊4日のショートにはエンシュア10缶持参となる。ただし、入院となれば、エンシュアがラコールであったりもする。
 話がストレートに進まない。書いて分かりやすく表現するということは、今になっても難しい。
 ショートでの排便は浣腸液を使用するのだが、ベッド上、側位の形で行われると聞いている。これも見てはいないのだけれど、側位だと、想像するに便が下りてこないのだ。
 大腸と直腸のところで急カーブがあるし、直腸に残存もありえる。ハッキリと簡単に言えば、引力を利用して上から下へでないと完璧に出し切れないのだ。過去、ショートで何度がやってもらったが、
 「親指先ほどのコロコロ便が2個だけでした」
 というような結果報告の印象が強い。
 だから、キッチリとスコーンと出させてやりたいから、排便管理に神経質になる。
 次回の排便は、この原稿が掲載される5月20日(金曜)だ。もちろんデイサービスで。6日目に当たるが、ほぼ間違いなく出る。ショート出陣前日。だから、5月14日に排便を促す必要があったのだ(やっと、なぜ? への結論に到達)。
 ところで、“排便の現場を見ていない”を連発しているが、以前はオレも摘便最前線で踏ん張っていたので他様がどのように摘便してるのか興味があるのだ。指に便が上手く引っかかり、少し指を押して勢いづけた瞬間からモコモコと便が出てくる有り様は達成感と充実感に満たされる。
 ヤッター!! 
 ってなもんだ。
 「私、摘便は得意なんですよ」
 楽しそうに、ウフフと微笑みながら語る看護師も過去に何人かいた。

 そうそう。5月23日、藤川幸之助さんが岡山県赤磐市で講演してくれる。このブログの3月1日付けで記してもいるのだが、藤川さんの姫路での講演にオレと一緒に出向いた女性軍が音頭をとっての実現となった。
 当日はオレが岡山駅へ出迎える。藤川さん、鳥取、高知、岡山と3連日強行軍の最終日。
 今回はオレたちのホーム。シッカリと接近してカメラを向けよう。ご報告は必ず、このブログで!\(^O^)/
 やれやれ。母のショートステイと藤川さん講演。ここで、ついにリンクいたしました。



花一輪

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 消灯すると、オレの位置からはこんな感じで母を見ることになる。iPodでも耳にしたいところだけれど、母の噎せとか異常が把握出来ないので音楽鑑賞しながら眠るに着くなどということはない。
 
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 風のスコブル強い朝だった。
 母のデイサービス出陣時をカメラに納めようと構えると、オヤッ?
 力強く、花が一輪さいておりました。
 母、出陣後、ジックリと観察。

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 夕刻、母の帰宅時前、強風の勢いにも負けず、左右前後に大きく揺らされながらも花はシッカリ天を向いておりました。
 なんと、花弁にハチがひっつき虫状態\(◎o◎)/!
 こんな雑草花にも蜜はあるのだ。
 
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 自然界で生きる。生き続ける。生き残る。難しいのだろうけれど、小さな命たちが踏ん張っている姿が健気に感じる今日この頃。
 さて、この連載の火曜日バージョンは今回で終了とさせていただきます。
 突発的な事あれば、適時、発作的にアップしたいと予定しています。

ps
5月16日午前、
母のエンシュアを入荷してもらっている薬局へ電話入れると、
写真のモノ、つまり母が必要としているモノに限っては、
余程の事態が発生しない限り入荷してくるとのこと。ヤッター\(^O^)/
バニラ味。オレは好きだけれどなあ!
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母の優しさ 強さ

 亡き父が闘病中、母とタッグを組んで父が入院する病院へ交代で泊まり込んだことは以前のどこかに書いた。時系列で順序よく記してこなかったので、どこで書いたかまでは把握できない。まあ、一つひとつを丁寧に読み返せば発掘はできるのだが、今回の内容とは全く異なるので無視。
 父は大部屋。6人部屋に入院していた時期が一番長かった。二人部屋の頃もあったが、入院中に父が院内感染し、院内感染の源が病院側にあるということで病院側から提供してくれたものだった。
 10ヶ月。6人部屋。となると、かなり大勢の人と関わることになる。救急で運ばれてきて、2日もしないうちに復活退院などという同室者もあった。もちろん、数ヶ月を同室で過ごし、亡くなられていった方も数名いた。
 実は、以下のようなこーーんな感じで母と向き合い、ゴールデンウィークまっただ中を過ごしていたら、当時の母の優しさが蘇ってきたので、これを書かないと、となった次第だ。

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 たぶん、5ヶ月ほどだったと記憶する。同室であったのは。とはいえ、かれこれ20年ほど昔になってしまう話なので曖昧であること間違いなし。ただ、大雑把ではあるが、肝心要な所は絶対に忘れていない。今も脳裏に焼き付いているからこそ、書こう、となったのだから。
 丹下さん(仮名)という同室者がいた。漫画・あしたのジョーの丹下段平オヤジをイメージしてもらうと困る。身長高くイケメンだった。何故か? オレは彼に可愛がられた。
 オレは当時、35歳前後。20年前の話だから。丹下さん、背中に般若の入れ墨を入れていた。スジ彫りではなく、肩から背中にかけて濃い緑と赤を中心に描かれていた。丹下さん、再生不良貧血という難病指定の病で入退院を繰り返していたのだ。
 丹下さん自身の口から、若い頃はかなりのヤンチャだったとのこと。流れ流れて、原子力発電所組み立て工程の工事現場でも長く働いたことも教えてくれた。
 今振り返れば、もっともっと詳細に聞いておけば良かった。原発のことなど、当時のオレにはどうでも良かったことだから。
 だけど一点、彼の口から発せられた事案でどうにも忘れられないことがる。
 「野田君、原発立地の最前線で働いているヤツ等の多くは外国人やからな。忘れんと覚えときや」
 事実を、オレが知るよしもない。が、丹下さんは関西方面出身の人だった。
 時々、病からくる不調でストレスが爆発し、看護師を怒鳴った。ヤンチャだった彼の爆発は半端ではなかった。手までは上げはしなかったが、爆発時の表情は背中に彫ってある般若以上。オレも恐かった。だけど、気の合う同室者はオレだけ。
 「野田君、あいつ等皆、ワシをなめとんのや。呑みに行こか?」
 絶対に呑んではいけない人なのだけれど、恐くて注意喚起などできない。オレは即答。ハイ。だけど、楽しくもあった。
 しかし、丹下さんの病は悪化の一方。侠気がポリシーであるのに、紙オムツをする事態となった。肛門付近に巨大な出来物が発生したことが紙オムツにする直接の所以だった。
 「野田君、ワシこんな様や。本当。もう死にたいわ」
 泣き言も増えた。
 この紙オムツにする以前の少しの間、母が、膿が付着した丹下さんのパンツを手洗いしてから洗濯機で洗っていたのだ。
 「野田君、ええお母ちゃんやなあ! 大切にしいや。返事せんとあかんがな?」
 母が傍で笑っていた。
 今になってだから強く思う。母はスゴイ!
 他人様の膿の付着したパンツを手洗いしていた。それも1回2回ではないのだ。
 なぜそこまでするのか? 聞いた記憶が鮮明に蘇る。母の返答も鮮明だ。
 「あんた(オレ)が可愛がってもらってるが!」
 厳しく、凛とした表情がオレの目前にあった。
 母、和ちゃんは優しく強かった。
 丹下さん、父が逝った数ヶ月後に病院の個室で旅だった。
 彼の言葉が改めて蘇る。
 母を大切にしないとな。
 
5月3日朝 黄砂舞う中デイサービスへ出陣
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エンシュア途中経過

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 時系列で記す。
 5月2日、連休の谷間になるが主治医から処方箋を出してもらっている薬局へ電話を入れた。
 5月7日朝食で、エンシュア代替品としてここまで使用してきたCZーHi(シーゼットハイ)が切れるからだ。他2種類はまだあるのだが、CZーHiで母が順調なので在庫確認の電話だった。それと、エンシュア入荷、その後の途中経過が知りたかった。
 すると、エンシュア4ケースを保管してあるとのこと。2ケースなら分けてもらえると言う。
 もちろん、分けてもらわなければ、である。
 このエンシュア、再出荷に伴うモノではないことは確かなはず? 販売元も再出荷は9日を予定しているらしく? 薬局へも5月以前には入荷したらしい? 出荷調整していたからなあ?
 あまり詳細は分からない。薬局にあまり詮索もできない。
 分けてもらえた理由? 想像するに、母が、他様より必要性が高いからかな?
 ただ、この4ケース以降はいつ入荷するか全く不透明だとも報告を受けた。
 とはいえ、一服だった。
 5月7日午前10時過ぎ、エンシュア受け取り代行を依頼していた担当ケアマネが来訪。写真のようにエンシュア2ケースをヨッコラショッと(m_m)
 ケアマネにそこまでさせるか? お叱りもありそうだけれど、オレは担当ケアマネを
 “sayakaちゃん”
と呼んでいる。友達でもあり、妹分のような存在。だから良いのだ。難しいことは考えないで!
 ケアマネの役割分担はここまで。そんな仕切り線はない。“sayakaちゃん”はもっとイッパイいっぱい、他受け持ちさんに優しさを授けている。
 余談だが、彼女が所長をする居宅介護支援事業所の今年の年賀状写真はオレが撮った。皆さん、キレイにオトコマエに。
 話が逸れた。
 ところが、“sayakaちゃん”は3ケース受け取って来たとのこと。もう1ケースは車中に。
 ありがたい。
 一段落。とはいえ、考えた。誰か足りない人がいないか? 
 薬局に電話確認。以下のような門答。
 「2ケース頼んだのですが?」
 「先生(主治医)から3ケースとのご依頼がありましたから」
 「私の方はありがたいのですが、どなたかに不足が出るとか? 大丈夫ですか?」
 「今回は大丈夫です。少し余裕がありました。ただ、これからのことは、まだハッキリ明言できないんですよ」
 ホッ!
 期待とオレなりの想像にしかすぎないのだけれど、良い方向に進んでるようだ?
 ? マークばかりでスミマセン。

網戸から 風
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今、心あるままに

 ゴールデンウィークまっただ中。とはいえ、この原稿が掲載される日、それは終焉し過去の思い出になっているのだけれど。いや、待てよ? この原稿は掲載されるのだろうけれど、このまま、金・土・日とゴールドは続いて9日の月曜から世間の皆さまは稼働なのか? 
 ながーーくドップリと在宅介護に浸かっているので、世間の常識から逸脱すること度々。ヤレヤレだ(^_^;)
 母のデイサービス。ゴールデンウィーク最中もお休みは4日の水曜だけ。いつもどおり、母はオレの傍で口をアングリさせたり、見えない目をキョロキョロとさせている。
 代わり映えしない普段の日常。しかし、それが幸せなのだ。今のオレにとっては。母も、そうであって欲しい。改めて母の表情を伺うと、長閑。オレの希望に沿ってくれているみたいだ。素直に嬉しい(^。^)
 最近、何度か雨が降った。一日降り続いた日もあれば、ドカーンと夕立雷が来たり。家周りの土地(庭ではない)に雑草が伸びている。一度は草刈りをしたのだけれど、雨降りが多くなると雑草の勢いは凄まじい。やはり、雨降り翌日に根っこから抜かないと雑草との戦いは冬まで続くはず。

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 とはいえ、写真のような可愛い花も咲いている。夕立雷で、瞬時にして花は散ったけれど。
 なんかね、皆、生きてるんだなあ! と。
 今、被災地でボランティアとして活動している人たちが多いことを報道で知っている。この連休は一層増えているとも。偉いなあ!
 正に、
 「愛とは自分の限られた時間を相手に差し出すこと」(家族を看取る“国森康弘著から)
 幸せの形。
 特に大震災後、多くの人たちが真摯に向き合いながら模索し始めている。オレだって考えるのだから。
 今回、特別な出来事は記さなかった。
 今、現在時、心のあるままを!



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プロフィール
野田明宏
(のだ あきひろ)
フリーライター。1956年生まれ。約50カ国をバックパックを背負って旅する。その後、グアテマラを中心に中央アメリカに約2年間滞在。内戦下のエルサルバドルでは、政府軍のパトロールにも同行取材等etc。2002年、母親の介護をきっかけに、老人介護を中心に執筆活動を開始。2010年現在、83歳になる母と二人暮らしで在宅介護を続ける。主な著書は『アルツハイマーの母をよろしく』『アルツハイマー在宅介護最前線』(以上、ミネルヴァ書房)など多数。『月刊ケアマネジメント』(環境新聞社)にて、「僕らはみんな生きている」連載中。
http://www.noda-akihiro.net/
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