自己存在証明のチカラ
4月29日が金曜日なので、この原稿が4月最終号となる。
しかし、その29日から世間様はゴールデンウィーク。在宅介護者が、どうにもこうにも、ハー!? と溜め息つきたくなるダークウィーク突入の日でもあります。
比較する。
なんでオレだけなんだ? どうして私だけなのよシンドイ目しているのは?
最近、休日も稼働するデイサービスは少なくない。だけど、年末年始、お盆。そして直ぐそこに待ち構えている大型連休。在宅介護者は、テレビ画面に映し出される笑顔につぐ笑顔。成田空港から旅立つ日本人旅行者に石をぶつけたくなる。
違うかな? オレはそうだった。
今のオレ? 母がターミナルケアの時期に突入していることもあるけれど、つまり混乱期ではない。更には、デイサービスやショートステイの利用も介護保険枠目一杯。気持ちの余裕はかなりあるから嫉妬はもうない。
でも、どうなんだろう? 海外へ飛び立つことを自粛する人は多いのだろうか今年は?
さて、何回も記してきているが、5月、6月、そして7月を乗り切るとオレの在宅介護も10年目となる。正直、母のアルツハイマーを宣告された日、10年単位で介護するなどということは想像もしていなかった。
ある在宅介護者がオレに言った。もう、後期高齢者の仲間入りされているような女性だった。ご主人を10年ほど介護し看取った経験者。
「あんた(オレ)、オンナ(母)は生きるよ」
その言葉が恫喝のようにも感じた。脅えもした。だけど、それは昔。今、母には、まだまだ生きて欲しいと。支えられて生きることに、自粛も遠慮もしないで。
とはいえ、ここまで頑張れ・踏ん張れたのは周囲で支えてくれた皆さんのお陰であることは承知しているけれど、介護しながら自己存在証明できたことが大きかったとオレなりに自己分析している。
自己存在証明。それは、どういうことか?
在宅介護者。特に認知症在宅介護者。加えるなら核家族であったり母子二人・夫婦二人切り。つまり、世間とはシャットダウン。我が家。しかし、閉塞感漂うの空間のみの下、戦う生活が継続する人たち。
オレは戦ってるぞー。アピールしたい。私はここにいるよー。認知して欲しい。しかし、その手立てがない。
オレの場合。書く。という手段があった。その書いたモノを、媒体に掲載して野田明宏を認知してもらった。これは本当に励みになった。延長戦で講演依頼も飛び込んでくる。
確かに、数百人の前で話しをするのはチカラが入る。だけど、数百人にオレの愚痴を聞いてもらっていると発想すれば、これはありがたいばかりだ。百人来てくれれば、二百の瞳がオレを見つめているわけだから。
今。認知症在宅介護者のブログもたくさん立ち上がっている。本名を名乗っているモノはほとんど見掛けないけれど、どのブログも自己存在をアピールする。
検索機能も充実しているから、その存在者同士・同志がパソコン画面から離れて、つまりONの状態からOFFの環境で出会い、意見交換したりするOFF会も花盛りの様相。そこで、自己存在証明を高らかに打ち上げることができる。
自己存在証明。分かりやすく言うなら、世間と繋がっているということ。
介護虐待。介護殺人。
どんな手段であれ、世間との交わりこそが、この言葉を段々に消し去ってくれるとオレは確信している。
いろんな母がおりました。
コメント
野田さん
稲刈りを背景の和ちゃん、素敵です。
写真、いっぱい撮られてるんですね。
お幸せそう。
息子さんに、このような微笑みで応えられるんですもの。
介護されてる野田さんの姿勢が見えてくるようです。
sunrise さま
ありがとうございます。
この写真を撮った頃は、いつも
和ちゃん笑ってー
ハイよー
ってな感じで、
良性アルツハイマー
と、私は認識していました。
結局、それは、私の希望であったのですが、
振り返ると、母子を超えた楽しい時間でした。
野田さん
世間との繋がりは大切ですね。
極端ですが、
ボクを、ボクのことを誰一人として知ってくれていない、
と想像すると、寂しいどころかホラーですよ。
怖い。
人間、独りでは生きていけません。
だけど、なかなか自己存在を証明するのも難しい。
正直、そんなところが現実なような?
野田さん、哲学ですね この課題は。
熊夫さま
毎度です。
確かに、誰も私を知らない?
となるとホラーですね。
ここに存在しているのに。
だけど、認知症在宅介護の現場では、
そんな錯覚に至る傾向があるよな気が
強くしています。
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