母親を“ちゃん”づけで呼ぶとは何様か?
「自分の母親を“ちゃん”づけで呼ぶとは何様か?」
オレは母を和ちゃんと呼ぶ。アルツハイマーであることを母が宣告された瞬時、オレは、オレ自身の過去との回路が一時的に遮断されたように思う。
“思う”と記してはいるが、こう記すしか説明のしようがないからこうなった。ハッキリ言って、9年前の記憶などスコブル曖昧だ。日記などを改めて捲れば、もっと異なったことを記しているのだろうけれど、これを書いてる“今”のイメージを大切にしたいから。
オレの、エッヘン! オフィシャルブログのタイトルは“和ちゃんと一緒に!”。ホームページをリニューアルしたときから“新・和ちゃんと一緒に!”となった。
前置きが長くなったが、もう一度。
「自分の母親を“ちゃん”づけで呼ぶとは何様か?」
オレのオフィシャルブログも母の病とほぼ同事に始まった。当初はメールがアチコチから着信して来たように記憶する。アチコチからとはいえ、そんな多くはなかった。ただし、文面・内容が強烈であったから多いように錯覚しているのだ。
そうそう。まだブログという形ではなかった。HTML方式。タグなどを打ち込み、行替えなどしながらアップしていた。だから、個人の介護日記など数が知れていたのでターゲットにされたのかもしれない。
「日本男の子として恥を知れ」
「お母上が不憫」
ホンマかいな? と読者方々からは疑われても仕方ないような檄文に近いようなモノまであった。
和ちゃんと呼称する以前は“お袋”と呼んでいた。ガキの頃は“おかあちゃん”だった。
確かに、このお叱りの声は正統派日本人であるなら良識の声だと想像する。想像はするが、いらぬお世話だ。
和ちゃんと呼称するということ。これは覚悟の証であるということを、なかなか皆さん理解してくれない。
お袋から和ちゃんへ。つまり、オレは母を在宅介護で看ますよ。という覚悟の象徴であり旗印であったわけだ。かな? ここまで入れ込んでいたかはオレ自身もパソコンに向かいながら疑問符点灯だけれど、あの頃を振り返るうちにオレまで檄してきてしまった。
覚悟が決まれば、自ずとオレ自身の気持ちの方向性も定まる。
母と一緒に生きよう。
それが、
和ちゃんと一緒に!
へと、文字上で移行したに過ぎない。
本当は、介護職方々全てにも、和ちゃんと呼んで欲しい。しかし、野田さんに始まり、和子さんが介護職としてのギリギリの線だろう。もっとも、いきなり和ちゃんも如何なものか? などと、介護者としてのエゴが見え隠れするオレでもある。
和ちゃん。
不思議なモノで、この呼称を実践していくちに、母は段々に、和ちゃんという表情になっていった。
これは、オレだけにしか分からないことだけれど。
和ちゃんと一緒に!
まだまだ続きますように。
コメント
野田さん
お母さん
絶対に 和ちゃん ですよ。
私、いつも 和ちゃん で、イメージして読んでます。
和ちゃんと一緒に を読んでれば誰でもそうなります。
読んでなくても 和ちゃん ですー。
熊夫さま
いつも どうも ありがとうございます。
熊夫さん、やはり 和ちゃんと一緒に!
を読んでくれてるんですね。
改めて、ありがとうございます。
和ちゃん。
母がアルツハイマーになる。
当初は未憎の事態でしたからね私には。
覚悟も含めでしたね。
和ちゃんが良いです♪
感情そのままですごく良いと思います。
ロッキーさま
お久しぶりです。
超々、ご多忙の最中のコメント
ありがとうございます。
和ちゃん。
もう、どこにもかしこにも染みこんでます\(^O^)/
初めてコメントさせていただきます。
「和ちゃんと一緒に」は、介護サイトをあちこち見ているうちにたどり着きました。
私は介護の現場でずっと働いてきました。こんなにアルツハイマー病という病気としっかり向き合って、一緒に歩んでいるご家族は残念ながらとても少ないです。ご家族の感情をストレートに記されていると思います。
毎回読む事はなかなかできませんが、たまった分を一気に読んでおります。
これからも読んでいきたいと思います。
モモさま
はじめまして。
イッパイ読んでいただき、ありがとうございます。
感情をストレート。
そうですねー
アルツハイマーと真正面から戦おうとするとき、
冷静ではいられませんね。
客観的にもなれないし、
ましてや、評論家のようにもなれません。
戦 なのですね。
和ちゃんと一緒に!
和ちゃんが混乱期の頃の日記は、
今、とても読み返せません。
私の内側に住む、
鬼畜
ばかりを見つめなければならないので。
コメント、ありがとうございました。
また、寄ってください。
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