今日を頑張ろう!
福島の原子力発電所は、日々、悪化の一途を突き進んでいるとしか言いようがない。目に見えない恐怖。更には、避難されてるいる方々は、いつ帰宅できるかも全く不透明で先が見えない。
この原稿は3月16日に書いているのだけれど、岡山でも今朝は冷えた。明日、明後日と冷え込み厳しいとのこと。厳冬が少し緩んだあとだけに冷えがより一層厳しく感じる。
被災された皆さま。避難所で踏ん張っておられる皆さま。言葉だけになりますが、心よりお見舞い申し上げます。血圧等、体調管理なども難しいと想像できますが何卒ご自愛くださるよう願うばかりです。
さて、避難所での生活ということではオレもシミュレーションをしていた。以前に何回も記してきたが、前の借家は廃屋も同然であった。
地震については、これはどうにもならないという覚悟を決めていた。とにかく揺れる。強風が吹いては揺れ、大型車が通過しても揺れた。
ただ、長く住んでると、地震の揺れか車の揺れかはある程度判断できた。地震の場合だけ、家全体が揺れるのだ。ミシミシという気味悪い音色と共に。
もっとも、少し先の道路で水道管工事でショベルカーが稼働していたときは、一日中、家は揺れていたのだけれど。このときの音色はメキメキだった。
危険回避の術である緊急地震速報を認知したとしても、母を抱えて瞬時に逃げ出せるものではない。
だから、大家さんからも、
「二人が屋根の下敷きになったらいけないので、次の住家をなるべく早く探して欲しい」
と、説に懇願されていたのが事実だった。
ただ、台風では10回前後ほど自主避難した。歩いて15分ほどの距離に5階建てほどの田舎にしては洒落たホテルがあり、そこで母と一夜を過ごすした。母は、このホテルからデイサービスへ出陣したこともある。これは、母が歩ける頃だった。
アルツハイマーも進行し、歩けなくなり寝たきりになってからは、親しい友人が一人の医師を紹介してくれ、そこの診療所で無理を聞いてもらった。
自主避難で診療所を利用するとは何事か? お叱り頂戴を覚悟で書いているのだけれど、そうするしか手立てがなかった。
だから、台風が、はるか日本の南太平洋上に発生という一報があれば、いや、それ以前の熱帯低気圧の頃から気象庁へアクセスして進路予報に一喜一憂していたものだ。
台風が通過して帰宅すると、側壁が剥がれていたことがあった。雨樋が近所に飛散したことも。この時は、厳しいクレームが入った。
「あんた等(私たち母子)が、ここに住んでることを迷惑と思っている人もいるからな」
アルツハイマーの母を抱えての生活に同情ばかりではないのだ。しかし、母と一緒では身動きとれない。そんな声への辛抱は激しいストレスとなった。
もし、突然に避難勧告が発令され、体育館なり小学校へ避難となれば、診療所へ向かう手立てもないだろう。ご近所方々同様に避難。そこで母のオムツ交換をしなければならないのだ。
指定避難場所内に親しい親戚でもいれば事情も異なるのだろうが、いない。肩身の狭い思いをすること間違いない。だけど、母を守らなければならないのだ。
先にシミュレーションをしていると記した。それは、つまり世間の視線や声を覚悟しているということだ。
母。今、日本で何が起きているのか知る術もない。一生懸命に、チカラ一杯にハンカチなどを握りしめながらベッド上で寝ている。ハンカチやタオルを握らせないと水虫になり、挙げ句、伸びた爪が手の平に刺し込む。
でも、その一生懸命が愛おしくて仕方ない。日々、踏ん張れる源でもある。
さあ、とりあえず、今日を頑張ろう!
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