母の肋骨が折れた1
今、この原稿を書いているわけだけど、隣のベッドに母はいない。一昨日からショートステイに出向いてもらっている。明日には帰ってくる。しかし、なんだか母の様子が知りたくて、早朝、ショートステイ先まで訪ねようか? と悩んでいるオレがいた。
オレは車の運転ができない。免停になっているわけではない。免許そのものを取得していないのだ。だから、公共交通を利用して1時間少々かけて向かうことになる。往復だけの時間で3時間が必要になる。車なら片道20分だ。結局、やはり休養しておこう、におちついたのだが、今も心は落ち着かない。
ショートステイ先に対しては、母の背中の表皮剥離等々で不信感を抱いた頃もあったが、今は大いに信頼している。雨降って地固まるの典型だろう。では、なぜに訪ねようか?
ただただ、母の顔が見たい。それだけ。完璧なマザコンと呼ばれても致し方ないことは承知。でも、そうなのだから。性分? オレが東京で忙しくしてる間のショートステイなら心の動揺もさほどではないのだけれど...
もっとも、こういう性分になるまでにはいろいろあった。認知症の家族を在宅介護していて、いろいろない家庭などあるわけがない。ましてやオレの場合、母のそばで一緒に寝起きをして9年目の在宅介護。二人三脚で生きてきた、と表現して過言ではない。
ショートステイを実際に利用し始めたのは胃ろう造設後からだが、一度だけ、母同伴で別のショートステイを見学に行ったことがある。もう5年か6年ほど以前になる? 混乱期には突入してはいたけれど、介護地獄を彷徨うのはまだまだ先のことだった。
そのショートステイ、築後、そんなに経過していない施設内にあった。陽射しも良く、オレは明るく感じた。部屋に案内された。個室だった。なにもない。白一色が際立っていた。
3分ほどはそこに居たか? それからホールに出、主任看護師さんを交えてオレが母に問うた。
「和ちゃん、どうする? ここで少しお泊まりしてくれる?」
母はオレの手をを強く握りながら訴えるように言った。
「わたしゃなあ、あんたに叩かれても、あんたと一緒がええんじゃ」
オレは、考える間もなく、主任看護師さんに今回は見合わせることを伝えた。
強烈だった。今も、あの瞬時のことは鮮明に記憶している。
だからかもしれない? ショートステイに託す毎回、ホッ! とするオレと、罪の意識を抱えてしまうオレが共存する。
写真は、「叩かれてもええんじゃ」の叩いた現実。肋骨が2本折れている。母の肋骨だ。素人目にも分かる。オレが叩いて折った。
この件は、次の金曜日に!
コメント
野田 さま
確かに 2本折れているのが分かります。
しかし、この場にあっても写真を撮るのですね。
正直
凄い! というか
ここまでやるか? というか
お母様も大変だ。
熊夫さま
母を介護していることは事実ですが、
二人三脚がホンマのところであります。
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