母孝行 日本一番さん
父を介護していた15年前頃か? 母を介護し始めてからのことなのか? いつ? どこで? どんな環境下で読んだのかは全く記憶にないのだが、母孝行についての話がとても興味深かったので今もオレの脳裏に焼き付いている。
詳細な部分まではキッチリとは記せない。焼き付いてはいるが、段々に焼き具合も弱まってきているから。まあ、以下のような主旨・内容だったはず。遠い昔話ではない設定のようには想像できる。
四国一番の母孝行息子と評判の若者がいた。日が昇ると同時に田畑へ出向き汗を流し、日が沈むまで農作業に勤しんだ。帰宅すると直ぐに母親の夕食作り。風呂を沸かし、入浴した母の背中を流す。母親が風呂から上がれば、脚をさすり肩を揉む。それはそれは上げ膳据え膳。
ある日、四国一の母孝行息子に一つの噂が届いた。信州に、日本一の母孝行息子がいる、と。四国一番さんは動揺した。四国一との評判は承知していたが、自身は日本一と秘かに自負していたのだから。
いてもたってもいられず、四国一番さんは信州へ出向いた。この間、母親の世話を誰がしていたのかは記されていなかったと思う。
信州に着き、日本一番さんの家を訪ねた。ここも農家だった。自己紹介をし、どのような母孝行なのかを見学させてもらった。
日本一番さんも若い。仕事は四国一番さんと同じで早朝から日が落ちるまで良く働いていた。ところが、帰宅してからは四国一番さんとは全く異なった。
帰宅する。まず縁側で、母親に汚れた足をお湯で洗い流してもらう。風呂も沸いており、母親が、
「今日も1日お疲れさま」
と、背中を流してくれる。挙げ句、風呂上がりの晩酌後、母親に肩などを揉んでもらってるではないか? 四国一番さんは失望どころか怒りさえこみ上げてきた。押さえきれなかった。
「こんな遠いところまで来たワシがバカだった。あんたのどこが日本で一番の母孝行なんだ? 母親に肩を揉ませる罰当たりなヤツが」
それを耳にした日本一番さん。怒るでもなく、
「日本で一番の母孝行などとは世間が勝手に言ってること。ワシは、母親がワシに、してやりたいということをしてもらっているだけなんだ」
お疲れさまでした。お話は終わり。オレからのコメントもなし。ただ、親孝行という意味合いにおいて、深く考えさせられることは事実だと思う。
さて、オレはある研究会に所属している。なので、2ヶ月に1度、東京に出向いているのだけれど、この研究会、まだ正式名称がない。とりあえず、NTKKとでもしておく。
NTKKは十数人の研究会。いずれ発会式なども計画しているようだけれど、アカデミックな世界からの参加者も数名。現役在宅介護者はオレ一人。だから、定義と感情論がぶつかり合う。時々、オレだけ浮いたりもする。
で、ここでも、胃ろう造設是非が問われることが多い。多いというか、今はこの議論に傾注している。
いろんな意見・声が出るのだが、スコブル新鮮な意見が飛び出た。大手マスコミ関係に所属するアラフォーには届かないであろう女性から。
「私個人が胃ろうを造設するか否か? と問われれば完全にNOです。だけど、私の母が、私にもっと生きていて欲しい、という願いから胃ろう造設を希望すれば、私は母のために胃ろう造設をしてもらうことに承知します。喜んで」
世間では、お年寄りの胃ろう造設是非論議で花盛りだが、まだ中年に届かない病人の親が、我が子のために胃ろう造設云々まではオレも思考の外だった。彼女、取材で小児医療とも関わっているとのこと。
やはり、生きる過程で視線・視点も異なってくる。
母孝行についても、四国一番さん派と日本一番さん派に別れるところだろう? ただ、書き終えて、時代錯誤も甚だしい、とお叱りを頂戴するような気がしないでもない。
が、いつまでも、このような語りが継承されることも大事なことだと確信している。
コメント
野田 さま
とても面白いお話しでした。
この二家族、どちらのお母さんも健康なんですよね。
孝行と介護は別モノのような気もします。
でも、熊夫的には、四国一番さんに一票です。
野田さんも、四国一番さんのスタイルが基本に
あると思っておりますが?
熊夫さま
そうですねー
どちらかといえば 私は四国一番さんに軍配派ですかね?
しかし、私の母はと言えば、
日本一番派だったような気がします。
大変良くしてくれました。
気がつくのが遅いのですが
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