母とオレの距離
吉田拓郎の曲の中に“君のスピードで”というのがある。オレは携帯の着信に利用させてもらっているのだけれど、この曲を知ってるという人は少ない。
出だしはこうだ。
♪こんなに人を愛せるなんて また一つ世界が拡がったようだ♫
この歌詞の愛は恋人を指すものだけれど、この曲を聴いて改めて思った。
オレは母を愛してる。もちろん、オレのおかあちゃんである母としてだ。更に、母に愛情を感じることで、オレの世界はグーーンと拡がった。つまり、母を一生懸命に介護することで新しい価値観も芽生えた。気恥ずかしいけれど、優しさ、かな?
ただし、母を愛してるとオレ自身が認知したのは、アルツハイマーの混乱期をくぐり抜け、母が胃ろうをして寝たきり失語状態になってからのような気がする。どのあたりから? とは明確に判断できない。いろんな壁を乗り越えるうちに段々にと、が正直なところだと思う。
もっとも、母がアルツハイマーを発症する以前。オレと母の関係はとてもヨロシクなかった。その一例として、母と二人だけで旅したことを振り返りたい。最初で最後の二人旅。それも日帰りだったのだが...
あまり確かな記憶はないのだけれど、父の四十九日が過ぎて直ぐだったはず。母と一緒にオレは“嫁いらず観音院”を訪ねた。
“嫁いらず観音院”というのは、アバウトに説明すると、
『嫁の手を煩わすことなく健康で過ごし、寝たきりなどとは無縁で最後は平穏に』
と、霊験あらたかなことから願掛けに出向くお年寄りたちで賑わっている。関西方面に多いポックリ寺をイメージしてもらえればOKなはず。
とはいえ、もうかなり以前だけれど、あるポックリ寺の住職が脳梗塞? で倒れ、そのままポックリ逝けず寝たきり状態であると、なにかの紙面で読んだ記憶がある。
笑い事ではない。ポックリ逝く、ということは難しいのだ。というか、あまりに医療技術が高度化し、逝かせてくれない現実。良くも悪くも、生きるも死ぬも難しいご時世である。
“嫁いらず観音院”というのは、岡山県井原市にある。位置的には、岡山県中西部あたりか? 我が家からは、JRを振り出しに岡山駅で別の線に乗り換え、バスに乗り、最後はタクシーを利用することになる。スムーズであれば、時間にして3時間半ほどの距離。
言い出しっぺはオレだった。オレが子供の頃、母は父に頻繁に叩かれていたけれど、退職する数年前から主導権は母に移行していた。老いてからは病のデパートのような父だった。母を頼らずには生活もままならない状態でもあった。だから、母は父に寄り添い励まし、ときには活を入れることが生き甲斐であったようにも見えた。
その生き甲斐が消えた。オレにはどうしようもないことだったけれど、“嫁いらず観音院”を参拝したいと願う母の気持ちは承知していた。
ところが、出発はしたものの話すことがないのだ。オレの反抗期以降、母と口論になることは多かったが、向き合って真摯に話し合ったことはなかった。確かに、父の入院等のことでは日々話し合っていた。でも、他の単なる世間話のようなことさえもしていなかった。
オレはなんとか話し掛けようと努力した。喉まで来て本当に出掛かっている言葉。しかし、喉から先へ進まない。結局、オレと母は帰路の岡山駅まで会話らしい会話をせずに戻ってきた。
“嫁いらず観音院”近くで昼食も一緒にしたが、気まずい食事だった。母も、息子であるオレに誘われたから無理をしたのだと思う。
母と一緒に街を歩く。街で食事をする。若い頃から、そんなことは照れくさくて出来ない、したくないオレだったから。
岡山駅で、オレは缶コーヒーを二缶買った。一缶を母へ。
「ありがとう」
母が照れくさそうに言った。オレは無言で手渡していた。
飲み終え、オレはその缶を自動販売機のそばに置いて歩きはじめた。すると突然、母から厳しい声が向けられた。表情がついさっきまでとは異なり、凜としている。
「ちゃんと、ゴミ入れに捨てなさい」
これだけだった。しかし、その瞬間、母は母になっていた。
オレは舌打ちしながらも、缶をゴミ袋に入れた。舌打ちはした。だけど、これは照れ隠しだった。厳しい母がそこにいた。
叱られたけれど、嬉しくなった。そして、そんな母の子で良かったと、つくづく思いながらその先の帰路に向かった。
今、オレは認知症の母を介護している。失語して寝たきり。でも、オレからすれば、今のオレたち二人の会話は豊富だ。オレからの一方通行かもしれないけれど、照れも遠慮もなしにオレは母に語りかけられる。
もう、喉で詰まることは決してない。
デイサービスの近所を散歩中
06年5月10日
Photo 渡邊寛之
コメント
野田さま
オトコって やっかいな生き物ですね。
野田さんだけじゃないですよ。
母親と息子の距離にもがいているのは。
母親と息子、両方が。
でも、写真、いいですね。
渡邊さんってプロの方なのかなあ?
熊夫さま
写真 いいでしょう!
現在 彼は 地方紙のカメラマンとして活躍しています。
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