オトコが付き添うということ
父を介護したのが35歳~37歳の頃だったと以前に記した。母との共同作業ではあったのだけれど、もうかれこれ20年が経過したことになる。今、十年一昔のサイクルではないにしても、随分と昔に父の介護を経験したことになる。
当時、男性介護者云々などと世間で問われることはなかった。新聞等、マスコミなどが問題提起している記事を見ることもなかった。
そういう慣習・常識の最中、オトコが病院で介護するということはかなり異端であったように思う。当時、オレは形振り構わずだったので客観視して自分を見つめる余裕などなかったけれど、振り返れば、確かに男性介護者と出会うことなど病院内でほとんどなかった。市民病院だったからかなりベッド数もあったが記憶にないのだ。
一週間ほどを病院で介護。ということなら、他に男性介護者が存在していても出会わなかった可能性はある。すれちがい?
しかし、オレは10ヶ月を母と交代で父を介護した。24時間介護。1日交代で。つまり、父のそばにはオレか母が必ずいた。
そうそう。以前に記したのは介護デビュー。このときも同じ市民病院ではあったけれど、この10ヶ月は父が新たに入院しての出来事だ。
付き添いをしている家族のために入浴日が設けられていた。浴場はひとつ。オトコであるオレが入浴希望ということで混乱が生じた。浴場は四人ほどが一度に入れるほどだった。オレが希望するまでは、女性ばかりだから入浴時間内であればいつでも女性軍は入浴できた。
ところが、オレの出現。いつでもどうぞ、とはいかなくなった。オレ一人のための入浴時間を設定しなければならなくなったから。オレは嬉しいけれど混浴などありえないし。病棟婦長からは、極めて異例の事態であることだとも教えられた。
そして、オレが入浴するときには入り口に、
『男性入浴中』
の張り紙を必ずしてから入浴することとなった。
だから、この事態から推測してもオトコの介護者はオレひとりではなかったか? と、今になって想像するのだ。病院へ泊まり込んでの男性介護者は、という前提で。
現在、認知症で徘徊等がある患者さんには、病院側から家族の誰かがが付き添うよう依頼されることも少なくない。患者家族からすれば、指導に近い雰囲気を感じるとも聞く。
原則付き添い廃止であったような記憶があるけれど、家族が付き添えない場合、付添婦さんを頼むことになる。家政婦紹介所を、病院側が家族に紹介することがあることをオレは知っている。家政婦さんは家族として付き添う。暗黙の了解は出来上がっている。
付き添い廃止=有名無実
病院で付き添うということ。ストレスとの戦いだ。オレの父が入院していたのは6人部屋であったし。
では、どうストレスだったか? それは次回で!
PS
母も尿路感染等で何度か入院を経験したが、個室ばかりを依頼した。
写真は2006年。
Photo : 蜂谷秀人
コメント
つき添い廃止は必要に応じてというとですか。
介護の手間がかかる患者には黙認でしょうね。それに家族が付き添って24時間病棟に居れば、病院の実態もよくわかりますしね。
どんなストレスだったか次の掲載が楽しみです。
はじめまして
私も在宅介護を6年近くやっています。
認知症ではありませんが、脳血管障害の父はワガママばかりです。
リハビリを一生懸命にするわけでもなく、男として情けないありさまです。
母も諦め半分。母が父に意見すると、そのときだけは普段は上がらない手が母に向かいます。
特別、これといったことを書きたいのではありません。
全てが苦労に思えるばかり。
スミマセン
my男さま
こんにちは。
付き添いは、したい人はすればいいと思います。
私は したいから やりました。
どんなストレスか?
まあ、楽しみにしていてください。
24日 金曜に!
もう、ありえないことだと思います が?
介護苦労人さま
はじめまして。
実は、ある自治体の仕事で、
脳血管障害方々の会の冊子を請け負ったことがあります。
利き手が使えなることは半端な苦労ではありませんね。
左手で歯磨きして良く判りました。
いろいろですが、しっかりここで愚痴ってください。
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