罪滅ぼし
まずはグワッチリと写真をご覧ねがいたい。父の遺影がある。かなり枠からズレ落ち気味だけれど、父亡き後、母がここに置いた。その前面には今年の干支である寅がいたり、オレの指荒れ予防の薬があったりする。主夫をはじめてから手荒れするようになった。余談だが、父も母も寅年生まれ。つまり今年、母は年オンナでもある。
そして、なぜだが秤があって、秤には母の尿取りパッドが乗っている。出したてホヤホヤ。計測は480グラムほどを指しており、尿取りパッドの重さ60グラムを差し引いて420グラム。午前8時半、母の排尿は420グラムでありました。
これを毎回、“和ちゃんオシッコ手帳”に記入している。母の失禁が始まってからだから、このオシッコ手帳もNO10。バックナンバーはシッカリ保管してある。
でだ。前回でかなり詳細に記したので、父、オレのオヤジだけれど、「困ったオトコだねえ」と思われた方々も多いに違いないと想像している。本当に困ったオトコだった。
父は六十六歳で逝ったのだけれど、六十歳前に勤めていた会社が倒産。母も同じ会社? 食料品を主に扱う卸問屋のような所であったのだが、そこは生き残るために練炭等も売っていた。母は、その練炭を担ぎながら、事務も全てを任されていた。
会社が倒産したことを切っ掛けに、父も母も第一線から退いた。母の方は、算盤と事務に長けていたので会計事務所からリクルートされたりもしたのだが、父が心配で断った。
というのも、この時点で父は生きる屍状態のようになっていたから。
「あとは、もう待つだけじゃ」
こんな言葉を頻繁に口にする父。待つは、死を待つと理解するのが妥当だった。動かない。寝たまま天井と睨めっこしている時間がほとんどだった。
オレは思った。
「なんで、こんなオヤジとお袋は一緒になったんだろう?」
オレは、それを母に問うた。頻繁に叩かれ蹴られしていたのに?
「あんた、そんな風に言うけれどなあ、お父ちゃんは本当は優しい人なんよ。ちょっと気が小さいだけだったんよ。そんな風にアチコチで言わんようにしてよ」
こんな応えが返るばかり。夫婦とは? 不思議かつ魑魅魍魎。
確かに、オレも良くない。父の優しい一面を記してこなかった。キャッチボールはよくしたなあ! その延長線に甲子園という夢を見られたのだから。一応、補欠出場ながら、オレも甲子園球児でありました。
さて、写真に戻るが、父の遺影の目前に秤があり、その秤で母の尿量を計測する。母の尿。けっこう臭う。父には申し訳ないとは思うのだが、秤を置く場所はここが最適なのだ。
モノは考えよう。母が愛おしい父にマーキングしていると思えば一件落着。父には、もうしばらく忍耐してもらおう。これも母への罪滅ぼしだ。
コメント
そりぁー なんだか お父さんカワイソウデショ 私も未来を考えなきゃ?
owlさま
可愛そうなんですが
まあ、ここはシッカリと耐えて欲しいものです。
かなり噎せこんでいると想像できますが ね
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