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野田明宏の「俺流オトコの介護」

確定診断への決断

2003年6月 診察中の微笑み
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 今回も前回に続き“決断”というテーマで書く。
 認知症と診断された家族を在宅で看る、もしくは施設へ託す、ということはストレスのかかる決断だ。身内が多い場合は家庭内紛争勃発も頻繁にあることをオレは承知している。身内どころか、ご近所方々までが参戦するケースも希にあるのだから。
 オレの場合、母にはオレしかいないのでオレが全てを決めれば良いのだが、一人で全てを決断しないといけない、とマイナス思考するなら重い作業になる。
 もっとも、早く実行しなければならないにもかかわらず日々だけが経過していく。方向性は理解も納得もしているのに決断ができないというケース。最初の壁だ。
 抽象的に記してしまったけれど、認知症である、ということを確定診断してもらうために精神科の門をくぐらなければならない。グループホーム入所時には、この確定診断がなければ入所はできない。認知症方々のための居場所なのだから。
 精神科。極めて当たり前なのだが精神科を専門とする病院内にあるのが一般的だ。ただし、精神科と聞いただけで暗雲漂う憂鬱な気分になる人も少なくないはず。(今、メンタルクリニック等、身近に感じる名称が多くなっている)
 オレ自身がそうだった。母ではなく、約十五年前に他界した父にも認知症の症状が出た。まだ、“痴呆”という言葉さえなく“ボケ”という言葉が闊歩していた頃だ。
 父を精神科病院へタクシーで連れていったまでは良かった。いや違うな! タクシーに乗り込む以前から心が重かったのは事実。オレはタクシーから降りながら、友人・知人と出くわさないか左右確認し、父の腕を引っ張るようにして病院へ入った記憶が今も鮮明に蘇る。
 精神科へ入って行くところを見られたくない。差別意識そのものだった。
 その後、父の介護を母と一緒に三年やったお陰で自然と意識改革ができた。父の介護についてはいずれ記す。オレの介護デビューはあまりに鮮烈であったから。
 で、母のときの確定診断だが、余裕で病院の門を叩いた。この頃には“痴呆”へと言葉は代わり、“ボケ”は差別用語になっていた。
 と、ここまで書いてきたけれど、認知症の確定診断に向かう時期にも悩まされる。母の場合、お袋は認知症である、とオレ自身は確定診断できていた。あとは、どこまで進行しているか? を確認する作業だった。
 結局、アルツハイマーの中期と専門医から確定診断されたのだが、オレは、正しい確定診断が出ることを怖がっていたのだ。オレだけの確定診断なら、まだ推定の範疇なのだから。つまり、非公式から公式な判定に持ち込まれたわけだ。
 とはいえ、オレは覚悟していたので落胆はなかった。
 「ヨッシャー! 在宅介護じゃあ」
 この夜から、オレは母の直ぐそばに布団を敷き、一緒に寝る決断をした。
 ところで、長くなるのだが、一つのケースを紹介したい。
 夫婦ともに五十代。夫の微妙な物忘れ・不審行動に気づき、奥さんは夫の認知症を疑った。知識を持ち合わせていたのだ。夫に認知症の知識は全くなく、なんとか精神科病院へ連れ出した。
 極めて初期の認知症と診断された。夫は、知らないことは知りたい性格。勉強するタイプだった。診断を受けた後、その足で一人、図書館を訪ね認知症の本とむきあった。そして、自身の将来を悲観することとなり、認知症進行以前に躁鬱病を患うこととなった。
 オレは認知症を研究する立場にはない。だけど、確定診断を受けにいくタイミングはあると思う。もちろん性格もあるだろう。更には、早期発見に越したことはないのだけれど、母は穏やかな雰囲気&環境下で認知症と向き合うこととなった。

月に一回のケアマネジャー訪問日。母とのツーショットをパチリンコ。
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コメント


写真をありがとうございました。
でも、今回冒頭の和子さんの写真、本当にいい笑顔!
事務所の中でも「あー和子さんだあ!」と皆で釘付けになりました。
ふと、その頃の和子さんに会ってみたいな・・と思いました。今更ですが、私は和子さんの話す声を聞いた事がないことに気がつきました。
会話が出来なくても、心の声を聴きたいといつも思ってはいますが。心の声なんて簡単に聴こえるものではないですものね。
ケアマネの『聴いたつもり・・』なのだと思います。
どんなふうにしゃべるのかな?
どんなふうに笑うのかな?
そして今、おしゃべりが出来たら、私をみてなんて言うのかな?
何となく「仕事もいいけど結婚もしなさいよ。」なんて言って下さるような気がしています。
そして、帰るときには「気をつけて帰りなさいね。」って言って下さるような・・
そんなことを思っています。
これからも連載を楽しみにしています。


投稿者: ひかり SN | 2010年07月17日 10:42

ひかりSNさま

と、記しても、何処の誰だか絶対確定。
だけど、和ちゃん、そのように助言してるかもしれませんね。
なんせ、ひかりSNさんのプライベートをいつも聞いてるんだから。
耳は、完璧に大丈夫。
また、楽しい話を聞かせてください。
オオッ!
とうとう 結婚 の2文字が公に出ましたかー
頑張ってください。


投稿者: 野田明宏 | 2010年07月18日 08:09

いいえがおですね~

本当に今までよく頑張られているといつも感心しています。和ちゃんのこころはしっかりと息子さんと繋がっているんだと感じます。
お二人のつくりあげたあたたかい空気が伝わってくる写真がいいですね。


投稿者: まつ | 2010年07月18日 20:01

まつさま

ありがとうございます。
こんな笑顔が頻繁でしたから、
私は母に、
良性アルツハイマー
と診断をくだしていました。


投稿者: 野田明宏 | 2010年07月20日 13:26

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

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プロフィール
野田明宏
(のだ あきひろ)
フリーライター。1956年生まれ。約50カ国をバックパックを背負って旅する。その後、グアテマラを中心に中央アメリカに約2年間滞在。内戦下のエルサルバドルでは、政府軍のパトロールにも同行取材等etc。2002年、母親の介護をきっかけに、老人介護を中心に執筆活動を開始。2010年現在、83歳になる母と二人暮らしで在宅介護を続ける。主な著書は『アルツハイマーの母をよろしく』『アルツハイマー在宅介護最前線』(以上、ミネルヴァ書房)など多数。『月刊ケアマネジメント』(環境新聞社)にて、「僕らはみんな生きている」連載中。
http://www.noda-akihiro.net/
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