ページの先頭です。

ホーム >> 家庭介護サポーターズ >> 野田明宏の「俺流オトコの介護」
野田明宏の「俺流オトコの介護」

決断

 男女に関係なく、病は認知症に限らず、一人で両親なり誰かを在宅で看ていこうとする過程では、必ず“決断”を迫られることがある。
 最近のオレの場合で例えるなら、二週間に一度お願いしていた往診を、三週間に一度にしたことだ。母が低空飛行ながら比較的安定を保っているから。もっとも、これなどは決断というほど大袈裟な範疇には入りはしない。
 ただ、このサイクルで往診を依頼してから三年半ほどになるか? 現実的には迷いはなかったのだけれど、このリズムを壊すことで凶と出るのでは? と、弱気な心が芽生えたことは事実だった。普段、ジンクスとか迷信めいたことは一切無視なのに。
 認知症。母はアルツハイマーだけれど、当然、最初の主治医は精神科医だった。身体障害者手帳一級を取得のため、作業療法士さんと我が家まで出向いてくれる優しい医師だった。母は、病がかなり進行した頃でも医師の前で微笑むことも多かった。オレも心底から信頼していた。オレたち母子は、誰もがするように医師が勤務する病院で診察を受けていた。
 ところが、認知症も重度化すると歩けなくなる。挙げ句、寝たきりに近い状態になる。オレが在住する自治体が発行している冊子で判断するなら、母は完璧な寝たきりだ。確かに、自身で寝返りも打てないけれど、今でも週に最低四日はデイサービスへ通ってるのに。
 少し横道に逸れたが、精神科医を最も必要とする時期は認知症の初期から混乱期までだとオレは強く思う。人それぞれだけれど、混乱期を終える頃になると歩行困難で車イスが必要となり、ベッドなり布団の上で過ごすことが多くなる。母の場合はそうだった。
 そして、介護者を悩みに悩ませる嚥下困難がやってくる。つまり、食事がうまく喉を通らない。普通食~きざみ食へ。きざみ食でも噎せるようになり、母にはフードプロセッサーでお好み焼きを粉砕させて食べさせることが多くなっていった。その先には誤嚥性肺炎が待ち受けている。
 主治医を精神科医から内科医へ移行しなければならなくなる。ここも決断だった。内科医といっても、近所だからではダメだ。往診してくれることがまず第一条件。当然、ケアマネジャーなりオレたちをサポートしてくれる人たちと相談なのだが、最終的にはオレが判断し決断しなければならい。
 次回、もう一度“決断”ということで書くが、オレが今の主治医であり往診医(内科医)に白羽の矢を立てた理由は、母の胃ろうに関係する。
 胃ろうというのは、半年に一度を目安に交換しなければならない。今の主治医はT医師なのだけれど、T医師は胃ろうを造設したO病院勤務を経て開業されたのでO病院と関わりが深い。だから、必ずT医師から胃ろう交換の依頼をO病院にしてもらっている。
 とはいえ、胃ろうを造設したからといって誤嚥性肺炎と縁が切れたわけではない。胃から上部へ逆流する人もある。
 「今日も肺の音は良いですよ」
 往診時、T医師からのこの言葉にオレはいつもホッ! とする。

pp.png

th_DSC_0001.jpg
前回の胃ろう交換から、ほぼ4ヶ月経過。
不良肉芽が現れてきた。

続きを読む


※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

コメントを投稿する




ページトップへ
プロフィール
野田明宏
(のだ あきひろ)
フリーライター。1956年生まれ。約50カ国をバックパックを背負って旅する。その後、グアテマラを中心に中央アメリカに約2年間滞在。内戦下のエルサルバドルでは、政府軍のパトロールにも同行取材等etc。2002年、母親の介護をきっかけに、老人介護を中心に執筆活動を開始。2010年現在、83歳になる母と二人暮らしで在宅介護を続ける。主な著書は『アルツハイマーの母をよろしく』『アルツハイマー在宅介護最前線』(以上、ミネルヴァ書房)など多数。『月刊ケアマネジメント』(環境新聞社)にて、「僕らはみんな生きている」連載中。
http://www.noda-akihiro.net/
メニュー
バックナンバー
その他のブログ

文字の拡大
災害情報
おすすめコンテンツ
福祉資格受験サポーターズ 3福祉士・ケアマネジャー 受験対策講座・今日の一問一答 実施中
福祉専門職サポーターズ 和田行男の「婆さんとともに」
家庭介護サポーターズ 野田明宏の「俺流オトコの介護」
アクティブシニアサポーターズ 立川談慶の「談論慶発」
アクティブシニアサポーターズ 金哲彦の「50代からのジョギング入門」
誰でもできるらくらく相続シミュレーション
e-books