オトコの世間体
母のベッドにはいつもトナカイクンがいる。敬称で呼べばトナカイクン君となる。トナカイクンが母のそばに来てから一年半少しが経過した。一昨年のクリスマスイブ少し前にプレゼントされてやってきた。
もっとも、母が癒されるというより、オレがスコブル癒されるのだ。時々、抱っこしてハグハグしてやる。五十四歳にもなって……。
とにかく、トナカイクンは母のベッドに居なくてはいけないペットになった。母のためではなくオレのために。
さて、ここまで書いてきて想像するのだが、
「この野田明宏という人物は、少し変? なのではないか。前回も、“お母さんの性器に感謝のチュッをした”などと記してあったし」
このまま書かせていて大丈夫? などと。
どうだろう? オレ自身は全く変だとは思ってない。ただ、世間からはいろいろ声が聞こえてくる。それは、我が家の家計の大部分が母の年金で賄われているからだ。
「お母さんの年金をあてにして」
などは可愛いものだ。
「シッカリ働いて納税しろ」
ここまでくると以前はかなり動揺もした。
しかし、ザックバランな話、認知症の母を在宅介護しながらフルタイムの仕事ができるだろうか?
母の場合はアルツハイマー病だけれど、アルツハイマー病の混乱期は昼夜逆転に加えトイレ誘導も必要となる。トイレ誘導というのは、トイレに連れて行ったからといってオシッコを出してくれるわけではない。
そろそろ出る頃かな? と介護者が想像して誘導するわけだから、トイレで外れて布団に戻ってからジャーなんていうことは日常茶飯事だ。布団を替え、翌日干さなければならない。母の着替えもさせないといけない。
着替えをさせる。と記せばそれまでだが、これが強い抵抗を受け簡単ではないのだ。こんなことが、もし一晩で二度もあれば、心に潜む鬼畜がほくそ笑む。
心に潜む鬼畜については後々、詳細に記す。思い出したくもないヤツのことだけれど。簡単に言えば、オレは虐待者なのだ。この鬼畜、今もオレの心の奥に潜んでいることは間違いない。
とはいえ、オトコは世間体を気にする。働いていない、ということに。在宅介護を継続しつつも大きなプレッシャーを抱えてしまう。ましてや働き盛りとなれば尚更だ。
オレの場合、書く、という仕事だからある時点では三つの連載を同時進行していたことがある。取材には出られないけれど、母とオレのことを書いてくれれば良い、という依頼ばかりだったから。
なので、無職であったことはないのだけれど、母の年金に依存している事実は今も変わりない。
そして今。何を言われようが動じない。母が愛おしくて仕方ないから。
もっとも、ここまでくるには、哀しみと切なさにイッパイ出会ったけれど。
コメント
「。母が愛おしくて仕方ないから。・・・ここまでくるには、哀しみと切なさにイッパイ出会ったけれど」・・・・・・・
そおーなんですねぇ。野田さんが介護を何年も続けてきたからこそ出てくる言葉なんですよね~。
野田さんの優しさがしみじみ伝わってきます。
ホントに優しいこころをもつ人は、自分の心の奥に鬼畜がいることをはっきり知っているんですよね~。この文章からじわーっとつたわります。
そのままの感じでこれからもお願いします♪
自分が実際に在宅介護をした経験がないので何も言えませんが、きれい事ではないと想います。
OTOKOMAEさんと同じ境遇で、でも表に声を出せない人もいると思います。そんな方にもOTOKOMAEさんの記事は力になると思います。
これからも頑張ってください。
まつさま
いつもコメントありがとうございます。
これからは、哀しさ 切なさについても記していこうと考えてます。
とはいえ、思い出しながら書かないといけない。
これもチョッピリ辛いところです。
MaCO村長さま
村長さんにも、いつもお世話になります。
村長さんの声、やはり一自治体の頭ですねえ。
ファイトが湧いてまいります。
これからもヨロシクお願いします。
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