認知症の人の介護は10年以上になることもあると聞きましたが、その見通しを教えてください。
【質問】
医師からおおよその見通しを聞きましたが、長谷川さんの実感として、どのように病気は進み、介護をしていったと思いますか。
【回答】
認知症のなかで一番多いアルツハイマー病の場合、発症から死までの全過程は、10年(2年~20年)と医学書に記されています。私の妻は11年。病気の進行と介護は、私の実感では「歩ける7年、歩けない4年」というふうに、はっきり分かれます。
アルツハイマー型認知症の一例として、妻の11年を簡潔に記してみます。認知症の人の介護は、まず10年と覚悟しておかなければならないでしょう。
妻の認知症11年の全過程を振り返ると、大きく「歩ける7年と歩けない4年」に大別できます。それは「知的機能障害の7年と身体機能崩壊の4年」、「多動・周辺症状(BPSD)多発の7年と無動・無言・無表情・ノースマイルの4年」とも言えます。
最初の歩ける7年は、記憶や判断力が衰えていく中核症状や、多彩な周辺症状で家族はあたふたします。お手洗いの始末や衣服の着脱が困難になったり、息子の顔も名前も忘れたり、ことばを忘れて会話が不自由になったり、同じ話しをくり返したり、商店で金銭のやりとりが難しくなったり、もの盗られや嫉妬の妄想で周りを困惑させたり、ティッシュでも何でも食べてしまう異食が始まったり、激しい徘徊や尿便のときところを問わないおもらしで、介護家族をてんてこ舞いさせます。家族は、驚きあきれ、哀しみ怒り、絶望して荒々しくなったり、我に返って優しくなったり、やがて病気がそうさせるのだと納得して対応する術を体得していきます。この時期、介護保険ではデイケアが支えてくれました。
しかし、徘徊の翌年から、脳の運動や筋肉の動きを司る部分の萎縮が始まり、指先の動きから手足の動きが不自由となり、ぱったり歩けなくなって車イス生活になります。歩けなくなった4年の始まりです。全身が硬直し、座位が保てずイスから転落し、やがて筋肉の硬直は喉にも及び、飲食が難しくなり、嚥下障害が始まってむせ咳が激しく、私は妻の身体が崩壊していく!と恐怖と絶望を感じました。認知症はもの忘れの病気だと思っていましたから、身体崩壊の病気だとは思いもしなかったのです。そして、歩けなくなった4年目、発症から11年目に、妻は激しい硬直けいれん発作を連続して寝た切りとなり、3か月後、老衰で79年の生涯を閉じました。この4年は、妻は無動・無言・無表情・ノースマイルでしたから、介護の私は実につらく切なく、ねえ、笑ってよ、ウンでいいから言ってよとおねだりしたものです。この時期、介護保険ではデイケアと訪問介護、訪問看護に支えられました。施設入居も専門医にはくりかえし勧められました。
アルツハイマー病の人が老衰で命が終わるのはレアケース(稀な例)だと専門医は言いました。たいていは誤嚥性肺炎か癌などで亡くなるそうです。
11年は長い病気ですが、病気の全過程の一つ一つのステージ(段階)は、たとえば意識があるのはあと1年かも、というように短いものでした。長くて短い。認知症は、きょう明日死ぬ病気ではありませんが、病気のその時その時は短いと考え、大事に優しく接したいものです。
もう一つ、私が強く申し上げたいのは、意思疎通が難しくなった無動・無言・無表情・ノースマイルの4年間を含め11年間を通していつも、妻の心は生きていたということです。介護にあたる方はそのことを常に心に持って介護にあたっていただきたいと思います。
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