感と動
2009年03月09日 09:00
気配を感じる
気配りで動く
感じて 動く
◎「強者」でない人への関わりはもちろんだが、人への関わりは「気配と気配り」であろう。「気配」を感じるかどうかの感性が大事だし、それを「気配り」として行動できるかどうかが大事になる。空気を読めない「KY」という言葉もあった。
「気配を感じ 気配りで動く、つまり感動が大事なんだよ」。そんなことをゼミの若い女性たちに語る私も「感と動」を心がけている。
コメント
先生の「私も感と動を心がけている」のように、気配も気配りも感動もどっちも「心」で働きをしている。「気配」の程度に止めているか、または、気配りを実行するかは、「心」の働きによって、感と動を操縦する。本当な善心はその結果によって評価される。それは、厚意の後の行動を言ったのであろう。
気配(けはい)は「人の気配」「動物の気配」等何かしら動物的、身体的、感覚で感じる感性を指しているのか、野性的な感じを持ちますが、気配(きくば)りは「人の優しさ」「人の暖かさ」等何かしら人間的、心理的な感覚で感じ取る感性を感じます。両方の感性を有していれば「鬼に金棒」なのかもしれませんね。でも、鬼は気配りはしないでしょうから・・・。鬼は気配を忍ばせているのかもしれませんが、同じ気配でも春の気配を感じる頃ですという言葉は、とても暖かさを感じますね。ほかには共和国は春爛漫です。
私は気配りが苦手で、KY人間と自分でも思います。
自分のそのときの感情そのままが表情に出てしまい、気まずくなることもあります。
こんな私が30年以上、福祉という多くの人に関わる活動をしてきたことを自分でも不思議に思います。
その理由を考えると福祉は多く感動する場面に合うことができると思います。
障害者の努力する姿をみて、講演会等においてひたむきな生き様などを聞いて、
感動すると、自分にも活力が生まれ、
この次も頑張ろうといつのまにか30年数年がたってしまったと思います。
今回のテーマとは違いますが、
感動は力となり、継続につながりました。
たしかに福祉の活動をする中で、自分の能力のなさに心が落ち込むことや
人間性を疑うような人たちがおり、いやになることも数多くありました。
しかし、建築という必ずしも福祉とは関わらずにいれるポジションで福祉を続けてきたのは、感動があったからかもしれません。
気配を感じ、気配りをしながら動くには、もっともっと五感を働かせなくてはと思いました。自然にそれが出来る温かみのある素敵な女性になりたいと思います。
今は行動する事が一番大切だと思っています。気配を感じても行動しなければ相手には通じないし。先生に色々教えていただきましたが、これからは行動して生きたいと思います。
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