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とんちンカン~福祉・介護・看護・医療の発想デザイン

老人と高齢者

「老人」は燻し銀のような味がある
「老」という字は 「考」に繋がる
「孝」という字は 子が老を背負う

「高齢者」は無味乾燥な感じがする
小学校・中学校・高校があるように
「小齢者」「中齢者」「高齢者」となり
「前期高齢者」「後期高齢者」となる

「老人」は年輪とともに品格が漂う
「高齢者」は量的な年数をいうだけ
「高齢者」はだれでもなれるけれど
ほんものの「老人」は人間の極地だ

「老人」を尊敬する国こそ未来あり

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◎愛読書である『安岡正篤・照心語録』(関西師友協会、1987年)によれば、「老を嫌う間は人間もまだ未熟だ。歳とともに思想・学問が進み、老いることに深い意義と喜びと誇りを持つようになるのが本当だ。」とある。そして「老」という文字には3つの意味があり、「年をとる」「錬れる」「“考”と通用して、思索が深まり、完成する」とある。なお、本は『照心語録』(到知出版社)として2001年に刊行されている。

◎なにごとも量と質で考えるとおもしろい。「高齢者」は「加齢」というように量による表現であり、「老人」は質を含めた表現といえよう。もちろん「水と氷と水蒸気」のように量的変化が質的変化をもたらすので、「高齢者」が「老人」になることもある。

◎私は還暦を迎えたが、「高齢者」でもなく「新老人」でもなく「真老人」を目指して生きてみようかしら。


コメント


また、ひとつ教わりました。
老人と言う言葉からは、なにか人としての品格をかんじます。
もっともっと、老人の方達のお知恵を、お借りして、住みよい社会にしていきたいと思います。


投稿者: M.I | 2008年09月08日 21:24

「老人」という言葉を聞くと、今の若い人達はたぶん、マイナスのイメージが強いのだろうと思います。「年寄り」「動きが遅い」「耳が遠い」「ボケている」など。
しかし「老人」といわれる世代は、戦後の日本を苦労と努力でここまで復興・成長させてくれた人々で、本来は敬って然るべきだと思います。でも現代は、核家族化が進み、おじいちゃん・おばあちゃんと住む事が減り、話す機会も接する機会も減りました。
「老人」が持つ、人間の深さや豊富な知恵を伝える機会も減ってきました。ネットでは「おばあちゃんの知恵袋」等のようなサイトはありますが、やはり生の声・現場で自分の経験を持っての話とは、聞いた人の身に付く度合いが、全然違うと思います。
私は、「老人を敬う・大切に」観点からも「経済効率」の観点からも「児童虐待防止」等々の観点からも二世代同居が増えればと思っています。
そして、「老人」と「子供」(グループホームと保育園など)の交流の機会がもっと増えればいいのになと思います。
今の「老人」は、少ない年金と多い負担・住みにくい環境で『労人』にはなっていないだろうか?
そしてついに最後には、子から見放されて施設に入れられっぱなしの「牢人」にはなっていないだろうか?
もうすぐ「敬老の日」です。今一度、「敬老」について考えてみましょう。


投稿者: KEN | 2008年09月08日 23:25

中国でも「老」は「少」に相対して、「年配」、「経験が豊富」、「歴史が古い」などのような意味を持っています。
例えば、「老手」は「古参」、「老師」は「先生」、「老板」は「社長」、「老爺」(旧称)は「幹部」を意味しています。年配者は「老人家」、「老大爺」、「老大娘」が、よく「老」によって尊敬して称呼されています。
普段、何も気がなく使っていましたが、先生に解釈された「老人」は年輪とともに品格が漂うを読んだら、本当に「老人」は燻し銀のような味があるように感じました。


投稿者: 中国大連大学 王 国忠 | 2008年09月09日 08:27

高齢者よりも老人の方が解り易いし、意味も深まり広がりますね。好かれる老人になるようにしたいですね。感謝して笑顔になる。愚痴を言わない。簡単なようで難しいですね。


投稿者: 西川 | 2008年09月09日 11:18

老人と言えば、ヘミングウエイの「老人と海」をイメージし、中国の仙人の白髪で豊かな髭を蓄えて、墨絵に登場する「悟りの境地の老人」も浮かんできますが、それぞれにロマンを感じます。
我が国の場合「前期高齢者」とか「後期高齢者」と行政用語(?)で捉えていようですが、夢がないような気がいたします。
「何故だろうか」と疑問が残ります。
最近、福祉施設関係を「文化的視点」と「制度的視点」で見るようになってから、多くのことに気づかされています。
少し乱暴な表現かも知れませんが、「老人」と表現すれば文化の香りがするようですし、「高齢者」とすれば制度的な給付とか、誰が看るのと言った「介護費」のような現実の香りを感じないでもありません。

私も数年前還暦を迎え、ここのところ同級生会が中・高・大と毎年開催されていますが、これも「老人」の楽しい集いの「知恵」の演出なのかも知れませんね。


投稿者: ほかにわ | 2008年09月09日 13:23

生まれた時から、おじいちゃんや、おばあちゃんと暮していれば、成長する過程で自然とお年寄りから愛情をいっぱい受け、家族愛が生まれます。
身近な老人を愛することで、近所のご老人にも、また見ず知らずのご老人にも優しくできるのだと思います。核家族があたりまえになった今、何世代もの家族が一緒に生活するのは、皆が寛容でなければ成り立たないのかもしれません。が、不景気を乗り切るためとか家族介護など、大家族で暮らす利点はたくさんあります。お互いのストレスは最少に、思いやりは最大にできる住環境をデザインできていければ、と思います。


投稿者: ダリア | 2008年09月09日 23:19

あと十数年もすると、国が定めた高齢化率(全人口の65歳以上の割合)の分母から分子に変わります。
ただ年をとるだけの高齢者にはなりたくない。
世のため人のために働き「~老」と尊敬されるような人生を送りたい。

政府に頼るのではなく、「ほんものの老人」が多数を占める時代は、国の行く先を指し示すそんな時代にしなければと思います。


投稿者: iwa | 2008年09月10日 22:17

先生!お久しぶりです(´∀`人)実習が終わり、久々にブログを拝見いたしました。

ほかにわさんが書き込んでいらっしゃったヘミングウエイの『老人と海』は私も読んだことがあります。あの本は老人の力強さと男としてのかっこよさを感じました。
ブログを拝見していて、「老人が一人亡くなると、図書館が一つ無くなる」という、先生が授業でおっしゃった言葉を思い出しました。


投稿者: SY | 2008年09月14日 00:45

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

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プロフィール
日比野正己
(ひびの まさみ)
長崎純心大学大学院教授&現代福祉学科教授。福祉のまちづくり+バリア・フリー・デザイン=福祉デザインを提唱する日本初の博士(社会福祉学)。独自のHM(叡智・笑む)法によってバリアをフリーにデザインするプロの技を建築・福祉などの分野で楽しく深く教授すること30年以上。著作多数。
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