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とんちンカン~福祉・介護・看護・医療の発想デザイン

グループホーム

「グループホーム」は認知症ケアでも人気者
認知症高齢者に馴染みやすい住まいだからだ

島原半島にあるグループホームは民家である
西は雲仙岳 東は有明海 島原城の麓に佇む
かつて「島原の子守歌」が生まれたところで
今は「認知症の人の守り歌」が聴こえてくる
その響きは哀調ではなく 笑いと希望の歌だ

でも 「グループホーム」なんて不思議だな
「グループ」の「ホーム」を意味するのかな
「ホーム」の「グループ」を意味するのかな
もしかしたら “多世代・大家族”のこと?
もしかしたら “向こう三軒両隣”のこと?

人間は最後まで一人で生きるのは寂しいから
人間は「人と人との間」で生きるのが幸せだ

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◎島原半島にある「グループホームふるさとの家『城下』」は、小関みどりさんが特別養護老人ホームでの勤務経験をもとに「あるべき介護」をめざして1998年に開設したもので、「田舎型グループホーム」といえる。そのすばらしい実践は、「痴呆」と呼ばれた高齢者たちの“笑顔満開”が証明しており、四季折々の生活風景とともに私の著作の巻頭写真を飾っている(『図解 居住バリア・フリー百科』日比野正己・夢設計編著、TBSブリタニカ、2002)。

◎じつは、小関さんは2001年度から始まった「痴呆介護指導者養成研修」(主催は高齢者痴呆介護研究・研修東京センター〔現在は認知症介護研究・研修東京センター〕)の第1回修了生である。私は初めて「痴呆介護」の実践者たちに7月12日と13日にバリア・フリーと福祉のまちづくりを講義したが、受講者の多くが目から鱗で共感してくれたことを思い出す。いまや、私が提起した発想の転換は「認知症」への名称変更や「認知症になっても安心して住めるまちづくり」などとして実現しつつある。明日は初講義から丸7年の記念日である。


コメント


グループホーム、あっという間に私の住んでいる町にもたくさんできました。認知症の義理の両親をお世話してもらおうと、何軒か見学させていただきました。入所されている方の表情が、穏やかでにこやかなホームは職員の方もやはり、穏やかでにこやかです。人生という山を登り、たどり着いた家庭がそういうグループホームだと幸せですね。


投稿者: ダリア | 2008年07月11日 13:39

確かに「グループホーム」って不思議なことばですね。あまりに普通に使いすぎて、意味を考えたことはなかったけど、ちょっと考えてみたいと思いました。みんなが人と人の間で一生を過ごすことができたら。。とても素敵なことですね☆

今日は、ちょうどグループホームのことを講義で学ぶ機会がありました。その中で、先生があるエピソードを話してくれました。先生が初めてグループホームに訪問したとき、グループホームはとても良いところだと確信をもって伺ったそうです。利用者さんにお話を聴いても、とても良いところで幸せだ。というお話ばかりで、やっぱりグループホームは最高の施設だと思っていたそうです。しかし、その日は七夕が近かったので、ふと笹の葉の短冊に目を向けると、その願いは「家に帰りたい。」というものだったそうです。

このエピソードを聞き、少しショックを受けたと同時に、福祉を学んでいる学生としてこれからどんな支援ができるのだろう。。。と考えさせられました。


投稿者: カラフルあおむし☆ | 2008年07月11日 18:05

私もグループホームの名前には?がありました。家の近くにも増えました。野菜を育てている所もあります。名古屋で私の近くの所は、ひっそりしていて、中の方と気軽に話せないのが残念です。
人間は人と人の間で生きることが大事だし、幸せですね。


投稿者: 西川 | 2008年07月11日 22:54

もう7年になるんですね?あれから何かと日比野先生にはご指導いただいており本当にありがたいと思っています。
そういえば「グループホーム」そのものの意味は今まで深くは考えなかったような気がします。
私の子供の時代には、近所のおじさんおばさんが縁側に集まり日向ぼっこしながら世間話をしていた。その広い庭で子供たちがベーゴマやゴム飛びなどして遊んでた。その情景を思い浮かべその頃の父母が今の高齢者であり、だから民家にこだわったと言う経緯があります。
と言うことは、私の場合「ホーム」(家)があり、近所のなじみの人たちでご時世に感化されず、仲良く暮らしましょう「グループ」の意味になるのでしょうか?
今ホテルのような素敵なグループホームがあちこちにありますが、私は民家にこだわってよかったと自負しています。それは環境の変化による症状の悪化と言うのが殆ど見られなかった。認知症が進んでいる人ほど、すぐなじんで下さる。昔生まれ育った家だからです。実家、本家の感覚だからです。でも最近ではその既存の民家でのグループホーム運営も難しくなってきました・・・
語りだすと止まらなくなりそうなので今回はこの辺でやめておきましょう・・・・・
このごろブログを開くのが楽しみになってきました。時にはこれを機に投稿して見たいと思っています。よろしくお願いいたします。


投稿者: 小関 | 2008年07月12日 00:24

グループホームらしき言葉を初めて知ったのは、故池田太郎先生が旧厚生省の5階の講堂で、全国精神薄弱者施設長会議が開催された、昭和45年か46年だったと記憶しています。
氏曰く「障害者(知的・精神)が共同で民家を借りて生活している。施設でそうでない仕組みがベーテルにあった。」この発言が精神薄弱者通勤寮の昭和46年厚生省事務次官通達によって、認知されていない子供のような形での制度化された通勤寮の創設になり、通勤寮の出口としてのグループホームの創設に繋がった経緯を思い起こしますと、陰に陽に直接関わった私にとっては、知的障害者の生活パターンも進化を果たしている実感を抱きます。
そんなこんなで、昭和62年日本福祉施設士会海外研修でベーテルを訪問し宿泊した事が日比野先生の提言で蘇ります。
嬉しいことに、一衣帯水の韓国のグループホームの原型がほかにわ共和国方式で展開されていることがあり、探していた貴重なフロッピーが奇しくも今出てきまして、不可思議です。ありがとうございました。


投稿者: ほかにわ | 2008年07月12日 06:30

カラフルあおむしさん!コメントを拝読し、考えさせられました。認知症の人の現場では殆どの人が「家に帰りたい」は日常茶飯事のことなんですね!その現場にいると、個人個人によって「帰る家」が違うことがわかるんです。実際の家に帰っても、「家に帰る」と出て行くと言う事実も数多くあります。子供孫に囲まれた幸せだった頃の家、長年夫婦仲良く暮らしていた頃の家、子供を一生懸命育てた頃の家、バリバリ第1戦で働いていた頃の家、今の自分の部屋、寝る場所、の家・・・・・たくさんの「家」があります。
夕食後必ず「今から家に帰ります」と言う方がいらっしゃいます。この方の今の家は、「これから夜だ、自分の寝るところはどこかな~、布団は?」で心の中は不安でいっぱいなんですね。そこをすばやくキャッチして、お部屋に連れて行き、寝床が敷いてあることを見てもらう。そしてパジャマに着替えてもらう。そこで「あ~よかった」と落ち着かれる、このようなことは毎日です。夜、寝る場所、布団、これがこの人の「今」の「家」なんだということがわかります。
私たちもよく「あの頃に戻りたい!あの頃は良かった!」と思う時があります。それが「家に帰りたい」の表現でもあります。「年をとったら昔を思い出して生きていく」。「認知症の人の帰る家」でもまだまだ深く掘り下げていくと考えさせられることがたくさんあります。その七夕の短冊の「家に帰りたい」は本当に帰りたかったのかもしれませんね・・・。
純粋な気持ちの学生さんのショックを少しでも和らげることが出来るかなと思いコメントしました。すみません!


投稿者: jyoukaのバリアー | 2008年07月12日 10:45

中国では、老人ホームを養老院、グループホームを小型養老院に翻訳しています。院は庭の意味ですが、いずれも今の養老院は、庭が珍しくありません。日本は、老人福祉法公布後、養老院を老人ホームと改称し、痴呆症も日比野先生の提起した発想で、「認知症」への名称変更をしています。中国語は漢字だけを使っているので、ホームのような外来語に改称するわけにはは行きませんが、
痴呆を認知へ、庭がない養老院を介護所へすれば、福祉文化の角度から見れば、少し進歩のほうへ進むでしょう。


投稿者: 中国大連大学 王 国忠 | 2008年07月12日 16:06

「共生型グループホーム」というのが、宮城県で11箇所ほどできているということを宮城県拓桃医療療育センターの田中総一郎先生(小児科医)の講演で聞きました。
これは認知症高齢者や重度心身障害者、知的障害者が1つ屋根の下で、それぞれの役割を持ちながら、できるだけ住み慣れた地域で暮らしていけるようつくられたグループホームで、浅野宮城県知事時代に田中先生たち県職員のアイデアで生まれたものだそうです。
年齢や障害を越えて暮らすと、たとえば認知症の高齢者が重度心身障害者を我が子のように身の回りの世話をする、あるいは認知症の高齢者が徘徊に出ようとすると、障害者が「おばーちゃんどこへ行くの」と声をかけると外に出るのをやめるといった、世代間の交流が実にうまくいっているそうです。
制度的にも、高齢者には介護保険が、重心と知的障害者には支援費からと、制度をうまく活用して運営しているとのことでした。
グループホームで家族同様の交流が生まれているのですね。


投稿者: iwa | 2008年07月13日 16:29

12日のオープンキャンパスはお世話になりました。
純心高校3年の山口です。
障害を持った方が楽しめるような楽器などがとても勉強になりました。福祉についてもっと学ぶ機会があればなと思います。


投稿者: 山口 | 2008年07月13日 23:55

グループホームというのは現在においては、認知症の高齢者にとって理想の生活の一つであると思います。
少人数が集まり(グループ)、ひとつの家族(ホーム)になる。そこでは小さなコミュニティーを形成しスタッフに手伝ってもらいながら、自分でできる事はなるべく自分でやる。ただし、一人一人の個室により、プライベート・プライバシーは守られている。
少人数の施設だから、スタッフの目がきちんと行き届き、また小規模の施設だから全国あちこちに建っているので、慣れ親しんだ「地元」に住み続ける事ができるというのも、大きなメリットだと思います。
病院などの施設では、自分が何もしなくても生活ができてしまう。食事は時間になれば出てくるし洗濯も掃除もしてくれる。そして時間の感覚もなくなり、時計もカレンダーもいらなくなってしまい、結果、認知症はどんどん進行してしまう。その点、グループホームでは自立を促すので認知症の進行を遅らせる事ができると思います。
ただ、今後の問題点としては、各施設間のサービス・設備の格差が大きくなってきている事と、そこで働くスタッフの待遇改善ではないかと思います。
また、「カラフルあおむし」さんが書かれていたように、どんなに快適な施設だったとしても、実は本当の家族に囲まれて過ごす事が、一番の幸せではないかと思います。本人達は「子供や周りの人達には迷惑をかけたくないから」と言っていても、本当は「愛する家族と共に過ごしたい・・・」のではないか。
しかし、今の日本ではなかなかそんな環境は整っていません。核家族化が進み、共働きが増え、昔のような「隣組」のような付き合いも少ない。
今後さらに加速する高齢化社会には、増える認知症高齢者にとって、家族にとって、社会にとって、どのような形が理想の社会なのかと考えさせられます。


投稿者: KEN | 2008年07月16日 00:14

グループホーム。
温かい雰囲気の中で認知症の方同士が共に暮らすことはいいことだと思います。
しかし私はもともとあった家族の機能というものにも目を向けたいと思います。


投稿者: SY | 2008年07月17日 00:45

今回のコメントにつきましては、システム上のトラブルにより、掲載までにお時間をいただきました。ご投稿くださった方々にご迷惑をお掛けいたしましたこと、深くお詫びいたします。
また、ブログのコメントは、管理者が承認後に掲載しております。そのため、投稿後少しお時間をいただいております。投稿の翌日までには掲載するようにしておりますが、タイムラグが生じてしまうことをご了承くださいませ。
管理者一同、コメントを拝読し、勉強させていただいております。また、読者同士の交流の場になればと思っておりますので、今後もご投稿の程、何卒よろしくお願いします。


投稿者: 管理者 | 2008年07月17日 10:57

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

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プロフィール
日比野正己
(ひびの まさみ)
長崎純心大学大学院教授&現代福祉学科教授。福祉のまちづくり+バリア・フリー・デザイン=福祉デザインを提唱する日本初の博士(社会福祉学)。独自のHM(叡智・笑む)法によってバリアをフリーにデザインするプロの技を建築・福祉などの分野で楽しく深く教授すること30年以上。著作多数。
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