知・好・楽
2008年06月20日 09:00
『論語』は座右の書であり 名言名句の宝庫
「之れを知る者は、之れを好む者に如かず。
之れを好む者は、之れを楽しむ者に如かず。」
知るより好む者へ 好むより楽しむ者という
人間の在り方の三段階から逆の発想を閃いた
「健常者」は「知的障害者」を蔑みやすいが
もし 「健常」の者が仕事を好めないなら
「好的障害」の者となる
もし 「健常」の者が人生を楽しめないなら
「楽的障害」の者となる
だが 「知的障害」の者が常に楽しむならば
あたかも「楽的健常」の者となり人生の達人
「好的障害」や「楽的障害」の者にならずに
仕事や人生などすべてを楽しむ者になりたい
◎『座右版 中国古典名言事典』(諸橋轍次著、講談社)は早朝の読書の楽しみである。紹介した「論語」の名言の意味は、安岡正篤師の『照心語録』(致知出版社)によれば、「知ることは本来余り価値がない。これに対して、好むことは対象を自分の情緒の中に入れることであって、身になる。更に深く理性や潜在意識の働きが加わると、これを楽しむという。」ことであり、内容は深い(引用文の太字は傍点箇所)。
今日の「暗記型知識偏重」の弊害を喝破(かっぱ)した識見に驚いてしまう。だれでも「好きこそ物の上手なれ」であり、HM風でいえば「楽しむと楽(らく)になる」といえる。
あなたも「之(仕事・人生など)を楽しむ」者になりませんか。
コメント
幸せは自分で感じるものであり、ないものばかり、求めるのではなく、有る、あると生きたいですね。今は知識ばかりで知恵が、受け継がれてないように、思います。
人間は、人の役に立てるのが一番嬉しいのではないでしょうか?私が老健に入ったら,花柄つみとか、したいです。
ご返事有難うございます。
「好的障害」は、体は健常だが、心の「障害」である。
つまり、人間は体よりも心によって人間性を決定されるということだろう。
通常、「知的障害者」を介護することを、いわゆる「健常者」が行うことになっている。しかし、「楽的健常」を「楽的障害」が介護すれば、どうなるだろう……。
「知的障害者」を介護する真の意義は、健常者も障害者もともに「楽的健常」になることであろう。
ご啓蒙ありがとうございました。
「楽しむ」という思考を最近、忙しすぎてすっかり忘れていました。義務にばかり日々追われ、とにかく、私が健康で仕事をこなしていかなくてはと、バタバタしていました。でも、今回の先生のブログを読んで、これからは、その仕事を楽しむことができるよう、ちょっと心に余裕を持ち、発想のチャンネルを増やして生活していきたいと思います。
「論語読みの論語知らず」という諺があります。
知っているだけでは、昔から冷笑の対象とされたようです。
日比野先生からメールをいただくときに、最後に
「無理はしないように。楽しむと楽になります。」
とよく付け加えていただきます。
今回の記事でこのことと実感しました。
今回もたいへん勉強になりました。
有り難うございました。
今春から私のスケジュールは水曜日がキーワードになったので、週の始まりが木曜日のような感覚で動いています。仕事開始の緊張感を何処におくかで、気合の入れ方が異なってくるということです。
「無理をしないように、楽しむと楽になります。」の言葉を言い換えるならば、日比野先生の講義を楽しんでいる自分なのかなと思うのです。そして、心地よい疲労感が次の日のエネルギーになっているのだと思います。心地よい疲労感=楽になるに繋がっているうのかも知れません。
重職のメール開いて印刷しました。ありがとうございました。
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