新しく年を重ねて
新年お目出度うございます。いつも感じることですが、新年は凛とした空気、万物のたたずまいが普段とはちがった雰囲気になりますね。年を重ね、また老いの坂をひと足ふみこむことになりますが、しかし、ここまで生かされたことにまず感謝して、元気を出しましょう。
さて、皆様はお正月をどのようにお過ごしになりましたか。
1月1日、私は家内と2人で過ごしました。例年、暮れには子どもたち3家族がワーっと集合するのですが、今年は1家族がノロウィルス感染性胃腸炎のため全滅。結局、お正月まで尾をひいたため、新年会はキャンセルになり、お年玉だけ送るという異例の事態になりました。このため、今年のお正月は静かなものになりました。
例年元日には、教会で新年礼拝があります。今年は東京東支区(下町エリアで26教会ある)の新年礼拝が、私の所属する銀座教会で行われ、300人が集まりました。祈りと讃美歌、そして牧師の説話の後、信仰生活50年(洗礼を受けてから50年)の方を表彰する行事がありました。
皆、神様をよりどころにして、悩みや苦しみを乗り越えてきた方です。今年は65名おられ、そのうち17名が出席されました。くじ引きであたった4人が挨拶されましたが、共通していたことは、「あっという間に50年たちました。皆さんのお陰です」という感謝の内容でした。
しかし50年は長い年月ですね。50年ひとすじの生活はなかなか珍しい。多くは脱落するものです。私も20歳のときに洗礼を受けて以来、50年はとっくに越えていますが、教会生活を中断した時もありました。しかし、現在は何とか神様の愛を常に信じて生きてゆける幸せを感謝しています。
銀座教会員も高齢の方が多数を占めてきました。銀座協会では70歳になると杖が贈呈され、「杖友会」のメンバーになります。このグループが最大多数で、なかには認知症の方もおられます。
ある80歳代の認知症の男性は、奥様に介護されながら、毎週日曜日の礼拝には二人そろって出席されています。かつては奥様に手をひかれるようにして表情もうつろでしたが、この半年位の間にとてもよくなってきて、最近では自分が先になって会堂に入ってこられ、微笑みをうかべて挨拶されます。毎日曜日の礼拝がご本人にも、そしてご家族にとっても心に何かよいプラスになっているのでしょうか。
「認知症になってもあきらめない」、という言葉を思い出します。介護をなさっておられる家族の方に、新しい年こそ神様からの慰めがありますように。そして支援の具体的な手が届きますように、祈っています。
コメント
キリスト様の教えは不思議です。
私は洗礼を受けてはおりませんが、教会に行くと神聖な空気に触れ心が安堵して、自然に涙が流れ安心し一人ではないと不思議な温かさを感じます。認知症の人にも、この様な安堵感を差し上げられる人物になりたいと思います。
先生がクリスチャンと知り、少し驚きましたが納得できた気がします。
「銀座の鐘」のホームページを拝見しました。
聖歌隊のCDの試聴も聞かせて頂きました。不思議な気持ちになるのは何故でしょう…?田舎の済みきった美味しい空気に包まれながら、頭頂部から、何か線の様なものがス~っと天に向かって何かが突き登る様な不思議な感じを受けました。癒されますので購入させて頂きました。
銀座教会はジョンウェスレイの信仰を継承し113年の歴史をもつ大きな教会だと知りました。
ジョンウェスレイは1703年6月28日生誕、87歳で天国に召されたとも記述されていました。当時を思うと、長生きされた方ではありませんか?6月28日…私は6月26日生誕です。やはり、御縁があったのでしょうか? 『はい。単純です。(^_^;) 』肖像画も拝見しましたが、とてもナーバスで思慮深いイメージをもちました。長山信夫牧師様、宮庄博副牧師様のお写真も拝見しました。副牧師様はとても凛々しいお顔立ちですね。「うわぁ~ハンサム!」不謹慎ですが正直な感想です。日本基督教団銀座教会名誉教授の鵜飼先生、は88歳と紹介されておられましたが年齢相応には見えません!東京神学大の近藤先生や小友先生、横浜共立大小林先生、堺教会・石黒牧師、青山学院の深町先生、高津キリスト教会牧師・藤本先生、アメリカ合同メソジスト教会宣教師・鈴木先生、各先生方の御教授されている内容もプリントアウトし、少しずつ拝見させて頂いております。近藤先生の「忍耐は練達を生む」を拝見しました。独学は難しいですが、「苦難をも誇りとする」苦難中は、その様な事を思う余裕はありませんでしたが、「苦難は忍耐を生み、忍耐は練達を生み、練達は希望を生む」このフローは嵐が過ぎてから実感する事ができました。
小島先生の「苦難をつらぬき」も拝見しました。『正しい事をして、なぜ苦しむか、古い昔からあった問い。』そんなに悪い事もしていないのに、何故苦しまなければいけないのか。1番知りたかった事です。正しい人のヨブは生活の糧となる牛を奪われ、子供達まで不慮の事故で失う…。『打ちのめされた試練によって原点に立ち返ると、人生には失って初めて見える事があり、失わなければ見えない真実がある…人は成功や栄達において人生の深い知恵を得る事はできない』という悟りを得た事も書かれていました。全くその通りだと思います。挫折を乗り越えて深い知恵を得た人の言葉には軽々しさがなく、人に吸収されやすい柔らかさや優しさ、逞しさがります。深く打ちのめされても這い上がる事が出来るのも自分一人の力では不可能です。「もう、駄目~前を歩けない」としゃがみ込んでも、不思議と抜け道が見つかり背中をさすってくれる優しい手があります。そして、前から引っぱって下さろうとする他力も感じます。「私達が何をしたんだ!父を失い、富も失い、大事な兄まで失い神様は奪う事しかしない人だ!」と一時期、母と二人で泣き崩れた事もありました。でも怨みつらみの否定的な言葉を発している時は底なし沼から脱出出来ずお先真っ暗な状態でした。母が弱気な事を言った時に、私が目を覚まし引っ張って下さる他力に導かれ、現在に至っております。確かに人に寄り添い優しくなれる心も与えて下さいましたが、何故、神様は欠けたら代わりの出来る人はいない宝物を奪われたのか分りません。その答えを見つけるまでには時間がかかると思いますが、見つける為にも温かい御導きに従順に従う事にしました。今は、心の赴くままに…
長谷川先生!
発見です!!
銀座の鐘のホームページで知ったのですが、
2001年7月22日 教会創立111年記念伝道礼拝で教鞭をとられた石黒悦男先生が牧師様を務めていらっしゃる堺教会は、私の自宅の近所です。今、お世話になっている副牧師様との出遭いも大切にしながら、御伺いさせて頂こうと思います。浮気(?)したら神様に叱られちゃいますかね~??考えます。
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