自然の風景との出遭い
2007年11月21日 09:00
秋のある日、東京都立川市にある国営昭和記念公園を散策しました。
公園の中央に“みんなの原っぱ”という広い芝生があって、家族連れがお弁当を広げたり、キャッチボールを楽しんだり、平和な光にみちていました。
私は4台連結のパークトレインに乗って、満開のコスモス園、水鳥の池、こどもの森など、広大な庭園を1周しました。
人々の流れのままに歩いてゆくと、2、3本のユリの木が黄葉をつけた美しい枝ぶりをみせています。思わず足をとめて見あげていると、微風にあわせてサラサラという音をたてます。おやっと思いました。この葉ずれの音、きれいだな! あたかもオーケストラの弦楽器群が主旋律の背景にあって、形容し難い美しい響きを伝えるような微妙な美しさでした。あの音の流れは、録音されたCDやテープではなかなか拾えなくて、生演奏の時に気づかれるような微妙な響きがあります。私は、自然とのふれ合いのなかで、思いもかけなかったこの出遭いに感動しました。
認知症の人を取り巻く現場では、医療やケアの標準化や効率化が求められ、これらをめぐる社会制度も変わっていきます。しかし、効率化に伴って、大切な、そして見逃がされやすいことがあります。それは心のふれ合いというか、出遭い“Encounter”への感動です。広い世界のなかで、この人と出遭えた偶然、そして喜びがあると思います。
特に認知能力を病む人のケアにおいては、ちょうど微風を伴って木の葉の絶妙な音の響きを感じとるような、心の豊かさ、センス、感受性が求められると思います。そのためにも、心の触れあいやゆっくりした対応の仕方、環境を整えること等が必要な条件だと思います。
コメント
心の豊かさ、センス、感受性は天性のものがあると思いますが、どうすればそれが磨かれますか? ユリの木のオーケストラにわたしも出遭ったことがあるのかも…。ゆっくりとしたペースで過せば、私にもいろんな出遭いがあるかもしれません…。
出会いは人を変えます。心の広い人、深い人、温かい人に接していくと人は心の豊かさを育んでいけます。大切な出会いが皆に平等にあったらとおもいます。ひとりの人をとことん大切に想う心をもてる感性に誰もがなりたい・・・・。心が奏でるメロディーもうつくしい・・・・。
心から同感しております。
1日を業務中心で決められた事だけを片付けて終わるなんて、つまらないし非常に勿体無い時間の使い方だと思います。
どんなに忙しくても、数分でも良いから、皆さんと平等に「心のふれあい」を共有出来る時間は、私にとっても癒されますし、心の中に御邪魔し寄り添う事で、見えなかった色々な事が見えてきますので、“ふれあい”を続けていく事で忙しい業務の効率もアップします。案外、認知症の方達との話が続かないだとか、コミニュケーションの苦手な専門職が多い様です。心のハーモニーを奏でる穏やかな音色のコミニュケーションや、明るく軽快なマズルカ風ロンドの様な“ふれあい”もあれば、ゴスペル調もあります。時には、「ジャジャジャジャ~ン」の様な交響曲の様なムードもあり、私のユニットは常に生き生きしております。私は、仕事中もコミュニケーションを含めて“リズム”を大切にしています。
田んぼの稲と稲が触れ合う音でも構いません。
ふと、疲れた時に柔らかいそよ風に触れたり、自然が奏でる音楽に触れると素朴な平和を感じ和みます。一人でその素朴な平和を感じるのは勿体無いので、認知症の方達にもその時間を提供出来る様に努めております。プライベートでも一緒に癒しの空間を共有できる様な人を探したいと思います。どうなりますやら…(溜息)
長谷川先生の感性、大好きです。
感性を磨くって、どうすれば?と皆さん、よく聞いておられる様ですが、目に入るものを素直に受け入れ、どんな事にも素直な心で向き合い自分の感じる事を表現する習慣の様な気がします。余談ですが、湯冷めをした様で風邪をひいてしまいました。油断大敵ですね…
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