父との「出遭い」をめぐって
これまで3回にわたり私が体験したさまざまな「出遭い」を紹介してきましたが、もっとも身近な存在である私の父、そして私の母との「出遭い」について語りたいと思います。
私の父は、愛知県の農家、地主の長男に生まれました。恵まれた環境に育ち、東大を卒業して銀行員になり、晩年は地元に戻って家業を継ぎました。一切の公職を避け、悠々自適の生活でした。
私が幼少の頃の父は厳しく、そして怖い存在でした。叱られて庭を追いまわされた記憶があります。しかし、私が自立し、家族を伴って帰省するようになると、そのたびに喜んで迎えてくれました。そして帰る時には、老夫婦で小川のほとりに佇み、いつまでも見送ってくれました。
ある日のこと、「お前は1人でアメリカに留学したり、教授にまでなれて、本当にえらいね」と一言ほめてくれました。後日、このエピソードを臨床心理士の知人に話したところ、「よかったですね。お父様は、自分を乗り越えた存在として長谷川先生をほめたんです。すごいことですよ」と言いました。その時に私は「えーっ、そうだったのか」と思いました。これが父との「出遭い」のようにも思えたのです。
父は85歳になると肺気腫が悪化し、肩で呼吸する息苦しさのために起居動作は制限されて、寝たり起きたりの生活になりました。『長生きしすぎたなあー』という父にたずねました。それは、ぜひ聞きたいと思っていた質問でした。
「年をとって、何が一番大切だと思う?」
即座に答えがありました。
『信仰だね』
私は驚きました。わが家は禅宗です。お盆とかお墓参り、お葬式等の行事をやるくらいで、特に信心深い生活とはいえませんでした。しかし、強い確信に満ちた答えに、「なぜ?」という次の質問はできぬまま、翌年父は逝きました。
明治生まれの気骨をもった父の、高齢期を生き抜いた姿を思い出し、父との「出遭い」を励ましにして、日いちにちを努めています。
コメント
長谷川先生の物語に感動しました。私が父からそのようにほめられる生き方ができるのかな、できるように強く生きなければと決意しながらも、自分の弱さに流されそうになります。信仰が一番大事というお父様の考え方にとても共感できました。私にも自己実現の生き方ができる、自分にも素晴らしい力があることを信仰によって確信しながら、自分の中の迷いを克服しています。自分の中の弱さと強さがまだ同じくらいで迷いがでてくるのかもしれません。もっと強さが大きくなればよいのに・・・。迷いがなくなった時点で自己実現できたことになるのかな。次の物語を楽しみにしています。
長谷川先生…
言い忘れておりました。
私の両親は「精肉店」を営んでおりましたが、商売が繁盛し御時世のニーズに合わせ、スーパーへと事業を拡大しました。父は商売の才能があり子煩悩で優しくてユーモア旺盛な人でしたが、父も怒ったら怖い人でした。私は幼稚園を卒業するまで「パパっ子」だったので、店内で仕事をしている父の傍を離れようとしませんでした。好奇心旺盛な子供だったので商品の牛をつついたり、悪戯をしては叱られました。そんな時は、必ず牛さんや豚さんを冷蔵保存している大きな冷蔵庫に数分閉じ込められ「御仕置き」をされました。しかし、私は好奇心が旺盛だったので冷蔵庫の中でも怖がらず遊んでいました。父は断念して、同じ商店街の店主の子供達と仲良くなる様に取り持ってくれた事を思い出しました。その当時、仲良くなった一人が教会に連れて行ってくれた一人です。
母の叱り方と父の叱り方は全く違い、父は同性の兄には厳しかった様に思います。長男への愛情だったのでしょう。
私は、家族の愛情に感謝しております。
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