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長谷川和夫先生に聞こう! 認知症のエトセトラ 2007年11月

白光との出遭い

 以前のブログで私のキリスト教との出遭いを書きました。今日はあのM牧師との再会をめぐる物語りです。

 私は1949年4月15日、復活祭にM牧師により洗礼を受けました。ところが2か月後の6月4日、聖霊降誕祭と呼ばれる日に教会が2つに分裂してしまいました。太平洋戦争当時に追放された外国からのミッション教団は、終戦を経て日本へ戻ってきていました。私の教会にもその波がおしよせたため、私の導師であったM牧師は10人位の信徒と共にミッションに戻ることになり、2派に分裂したのです。
 新しく入会したばかりの私にとって、教会が分裂したことは驚きでした。そして、状況のわからないままにM牧師と別れてしまいました。私にとっては「躓きの石」でした。
 それから3年後、M牧師はがんにかかり、重篤な状態になっていると伝え聞きました。私はすぐにM牧師宅に伺いました。応接に出てこられた夫人から面会謝絶の旨を伝えられましたが、なんとか面会を許されました。



自然の風景との出遭い

 秋のある日、東京都立川市にある国営昭和記念公園を散策しました。
 公園の中央に“みんなの原っぱ”という広い芝生があって、家族連れがお弁当を広げたり、キャッチボールを楽しんだり、平和な光にみちていました。
 私は4台連結のパークトレインに乗って、満開のコスモス園、水鳥の池、こどもの森など、広大な庭園を1周しました。



母との「出遭い」をめぐって

 前回に引き続き、今回は母との「出遭い」について語りたいと思います。
 私は5才頃から烈しい気管支喘息の持病がありました。気候の変わり目が鬼門です。秋晴れの日も喘息で寝込んでいました。食べ物にもアレルギーもあり、鯖、そして茄子が原因で喘息をおこしました。さらに、運動や疲れもきっかけになりました。
 一度発作がおこると三日三晩は急性期で、烈しい呼吸困難のため横になって眠ることができません。数枚の厚い布団を体の前後に置いて、それによりかかってウトウトするくらいがやっとでしたから、看ている親もつらかったでしょう。弟と2人の妹がいましたが、元気な彼等が羨ましく、ひがんだものです。しかし、母は長男である私をことに気にかけてくれました。戦時中でしたから、今から考えると本当に命と隣り合わせの日常の中で、大変だったと思います。



父との「出遭い」をめぐって

 これまで3回にわたり私が体験したさまざまな「出遭い」を紹介してきましたが、もっとも身近な存在である私の父、そして私の母との「出遭い」について語りたいと思います。
 私の父は、愛知県の農家、地主の長男に生まれました。恵まれた環境に育ち、東大を卒業して銀行員になり、晩年は地元に戻って家業を継ぎました。一切の公職を避け、悠々自適の生活でした。
 私が幼少の頃の父は厳しく、そして怖い存在でした。叱られて庭を追いまわされた記憶があります。しかし、私が自立し、家族を伴って帰省するようになると、そのたびに喜んで迎えてくれました。そして帰る時には、老夫婦で小川のほとりに佇み、いつまでも見送ってくれました。



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プロフィール
長谷川和夫
(はせがわ かずお)
認知症介護研究・研修東京センター名誉センター長、聖マリアンナ医科大学名誉教授。専門は老年精神医学・認知症。1974年に「桜、猫、電車……」の長谷川式認知症スケール(HDS-R)を開発者して以来、常に認知症医療界の第一人者として時代を牽引してきた。最近では、「痴呆」から「認知症」への名称変更の立役者でもある。『認知症の知りたいことガイドブック』(中央法規出版)、『認知症を正しく理解するために』(マイライフ社)、『認知症診療のこれまでとこれから』(永井書店)など著書多数。
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