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長谷川和夫先生に聞こう! 認知症のエトセトラ

現在も「生きている」過去 終戦記念日によせて

 酷暑とか猛暑とかいわれる暑い暑い日がつづきます。皆様お変わりなくおすごしでしょうか。私はもともと冬が苦手なので、夏の方がずーっといいですね。
 さて、小学生時代の夏休みは、人並みに父と母のそれぞれの実家(尾張愛知の農家)に遊びに行ったり、従兄弟たちと海で遊んだりしました。
 しかし、夏からの連想で悲しいつらい想い出もあります。それは終戦の年です。
 昭和20年5月25日、東京はB-29の大空襲にあい(東京大空襲)、私が当時暮らしていた世田谷区の笹塚も大きな被害を受けました。住むところがなくなり、一家そろって風呂敷包み1つで、静岡県沼津近郊の手臥に叔父を頼って疎開しました。
 父は単身赴任で東京の職場に残り、母と妹と私の3人で、海辺のお寺の一隅を借りて暮らしました。食事は南瓜(かぼちゃ)を煮たもの、それだけでした。

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 ところが、沼津に移って2か月も経たない7月17日の未明、沼津市も空襲にあい(沼津大空襲)、焼土となりました。私たちは再び命からがら父の実家がある愛知県の春日井郡に移りました。母と妹は慣れない農家の仕事を手伝い、私は勤労動員として飛行機工場で働きました。
 ある日、工場で働いているときに、米空軍のグラマン攻撃機の機銃掃射を受けました。バリバリバリといった機銃音に肝を冷やすと同時に、米軍の圧倒的な強さをひしひしと感じていました。
 そしてあの日、8月15日を迎えました。暑い日でした。祖父を中心にラジオの前に家族一同が集まって、天皇陛下の放送を聞きました。「忍びがたきを忍び……」というお言葉が胸にしみました。
 その日から私の家の近くにあった小牧飛行場(現・名古屋空港)から毎日早朝から聞こえていた戦闘機のエンジン音がバッタリ止みました。翌日、静かな朝を迎え、「ああ、戦争は終わったんだ」と、実感しました。そのとき、本当に、よかった、よかった、と子どもながらに思いました。
 すごい変化でした。平和という静けさを身体で感じました。外は青い空、そして暑い夏の日ざしがありました。夏になるとこの想い出が常にあります。貴い平和をしみじみ体験した夏でした。
 毎年8月15日は、私の心に過去のこの日がよみがえります。そして戦争は絶対にしてはいけない、平和を勝ちとるために力をつくしたいと思います。
 終戦記念日の記憶は、高齢になってからの回想ですが、この回想された過去の事実は、現実にいきいきとよみがえります。人の過去は履歴上の過去とは別に現在にも生きていて、今を動かしていることを実感しています。
 認知症の方が過去を話し始めるとき、それは決して単に過去の物語を回想しているだけではなく、その方にとっては今につながる現実的な物語でもあるのではないでしょうか。そして、その方のこれからの物語をつくる可能性を秘めているのではないか、と思います。


コメント


戦争の御話は施設の利用者様からお聞きする事は僅かなのですが、結婚して、すぐに御主人に赤紙がきて「御国の為…」「戻ってくる」と信じきて送り出したのに、そのまま戻る事無く雲の上に旅立たれ、1945年8月15日「耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び」と親族一同天皇陛下による玉音放送を聞き虚しさと安心した気持や、戦後女手一つで子供三人を立派に育てあげた御近所の96歳のお婆ちゃんの御苦労をお聞きした事があります。私の祖母は65歳の若さで亡くなったのですが、祖父を思い出し泣いてしまうので多くを語ってくれませんでした。戦前に祖父と祖母は沖縄から堺へ職を求めて移ってきたと聞いており、母も堺で生まれ育ちました。祖父は戦争から戻ってきたのですが、私が小学校1年生で他界しました。昭和20年7月、祖母は右手に当時2歳だった母の手を握り、左手に母の姉、背中には下の弟をおんぶし、B29の攻撃を受けた堺空襲から逃げ回った事を聞かされました。堺空襲後、平和を折念した坂村真民という人が「念ずれば花開く」と唱えた碑文を残されております。戦争を全く知らない私達世代は、膝を突き合わせて語って下さる方が少ない為に、テレビやインターネットなどでしか情報を得る事が出来ません。今が平和かというと、決してそうではないかもしれません。科学兵器の開発が水面下で進み、いつ第三次大戦が起こるか分らない時代なので怖いです。その恐ろしさを感じた印象深い事件は、2001年にアメリカで起こった同時爆発テロやオウムのサリン事件です。幼児・高齢者・女性など弱い人を対象とした虐待や殺害。エバが神様に背いてしまった事が尾を引いて罪びとを絶やさない現代にまで至るのなら、神様はいつ御許しになられるのでしょう?穏やかな日々が永遠に続く事を願っております。


投稿者: 玉本あゆみ | 2010年01月14日 07:47

言い忘れておりました私見がございます。
「堪え難きを耐え 忍び難きを忍ぶ」事が、美徳とは思えません。戦争中に、それを言えば「非国民」として罰せられた事でしょう。罰せられる事が解っていて、自ら十字架に貼り付けられる勇気があっただろうか…自分の弱さを見つめております。第二次世界大戦で悲惨さに心を痛めたのは、当時、私と同じ年代の頃の事実を書き残した「アンネの日記」でした。無益さ、悲惨さしか得る事のなかった戦争は、決してあってはならない事です。平和を守る為に祈る事、戦争反対と主張する事以外に、私に何が出来るのか…大きな事は出来ませんが、自分に与えられたフィールドで平和を気付く事しか出来ないでしょう。戦争を体験し御苦労された皆さん(認知症高齢者様含む)や祖母、家族、私を支えて下さった血の繋がらない皆様から知恵を頂いた喜びが大きいので、今は強くなりました!


投稿者: 玉本あゆみ | 2010年01月14日 08:40

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プロフィール
長谷川和夫
(はせがわ かずお)
認知症介護研究・研修東京センター名誉センター長、聖マリアンナ医科大学名誉教授。専門は老年精神医学・認知症。1974年に「桜、猫、電車……」の長谷川式認知症スケール(HDS-R)を開発者して以来、常に認知症医療界の第一人者として時代を牽引してきた。最近では、「痴呆」から「認知症」への名称変更の立役者でもある。『認知症の知りたいことガイドブック』(中央法規出版)、『認知症を正しく理解するために』(マイライフ社)、『認知症診療のこれまでとこれから』(永井書店)など著書多数。
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