私と認知症の始まり
2007年04月17日 09:00
このたび編集部のおすすめでブログを立ち上げて、認知症を中心にしてさまざまなトピックを紹介してゆくことになりました。
私が認知症の医療にかかわり始めたのは、1968年頃のことです。今から約40年位前になります。当時私は慈恵医大の精神科に勤めていましたが、私の恩師、新福尚武教授の御指導を受けて、東京都内にある老人ホームの利用者の方々について、健康状態の調査をすることになりました。ある内科のドクターから都内の足立老人ホームを紹介されて、近藤明氏というホーム長の協力をいただき、お年寄りの健康診断を始めることができました。
その時に、認知症の方を診断する現場に出逢いました。病院や診療所と違って、暮らしの中で認知症のみたてをしてゆく場合には、一つの工夫が必要になりました。
その時新福先生が、「長谷川君、昨日と今日とで痴呆のみたてにブレがあってはいけない。一定にした規準をもつこと、ここまで記憶や判断力が下ったら痴呆といえるようなスケール、つまり、物差しを作りなさい」と指導されたのです。そこで作ったのが、長谷川式痴呆診査スケールです。
当時は、その様なスケールはなかったのですが、専門医が診断をする時にたずねる質問を選んで、正しい答には得点が与えられます。数量化したスケールを作ったことになります。誰も試みてはいなかったことでした。使ってみると、一定の期間で多くの方を調べさせていただくうえでは、非常に役に立つことがわかりました。誰が行ってもほぼ同じ結果がでることから、認知症の診断に客観性がうまれたことは一つの発見でした。
コメント
長谷川先生が認知症の医療にかかわり始められた1968年は、私が生まれた年です! 自己満足ですが、とっても不思議な感じがします。
長谷川式簡易知能評価スケールを開発して頂いて有難うございます!(^^ゞ
先生の様なパイオニアの方々がいらっしゃったからこそ、今日があるのだと感謝しております。
そのパイオニアの御一人でもある水野裕先生の著書『実践パーソン・センタード・ケア』に、平成13年東京センターで行われた会議で、長谷川先生が「これからは、PersonーCentred Careの理念に沿ったケアをすべきだ」と話されていた事を書いておられました。(著書引用)この理念の入口に入ろうとする人は、色々な意見をもつ様ですが知れば知るほど、実践すればするほど、認知症の方にも明るい兆しや変化があり、私自身にも投影されて自己成長がある事も認識できました。もっと、もっと理解したいという欲も出ます。
長谷川式スケールについて、水野先生は御自分の経験を著書の中で次の様に紹介されておられます。≪ 世の人達に記憶障害=ボケ(認知症)という印象を与えてしまい、その数量化した結果を知った御家族の「やっぱり、だめですね…」という落胆した言葉をお聞きになった時、水野先生は「長谷川式スケールがゼロになっても習字をしたり、歌を歌って踊ったり、楽しくすごしている人はたくさんいますよ」と答えられたそうです。≫ 著書引用
私は、最初、長谷川式スケールの罪という意味が分らず反感をもっておりました。しかし、水野先生の本を読み「そっか~家族の方にとってもショックなんだ~そこまで気付けなかった…」と納得させられました。
水野先生と同じくプラス思考でありたいと意識している私の立場から申し上げると、今の状態を数値で把握することで、これからの対応をパーソン・センタード・ケアの理念に沿って計画し、0点になっても自信喪失しない様なアイデンティティーを確立する事はできると思いました。また専門職にとっては絶対必要不可欠な尺度が与えるダメージへのサポートも、必要不可欠なんだと認識できました。
とっても不思議な雲の上の様な方だと教えられたトム・キットウッド教授を始めとするパイオニアの方々はとっても偉大です。とっても!
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