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詩人 藤川幸之助の まなざし介護

本ブログ「まなざし介護」が本になりました!

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『まなざしかいご』をお読みになった皆様、本ブログのコメント欄にぜひ感想をお送りください。著者の藤川さんも皆様からの投稿を楽しみに待っています。よろしくお願いします!

本ブログ「まなざし介護」が本になりました
20年間お母様にまなざしを向けることで学び、育てられ、支えられてきた藤川さんの思いが凝縮された1冊です。新しい詩も収載されています。ぜひ、書店、または弊社サイトでご購入ください!

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2010年7月刊行 発売中!

『まなざしかいご
 -認知症の母と 言葉をこえて 向かい合うとき-』
藤川幸之助 著
B5変形 168ページ オールカラー
定価1680円(税込)
ISBN 978-4-8058-3346-9

認知症の母にまなざしを向けることは、母の死を見つめること。
母の死におびえながらも、見つめれば見つめるだけ、
母の命が愛おしくなる。私のこの命が力強く息づき始める。
――口から食べることも、言葉を発することもなくなった母。
その母と向かいあってきた日々をつづった、切ないけれど温かい、
切実だけど心にしみる詩文集。

ご購入はこちらをクリック!

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コメント


さっそく読みました。
まず、本の表紙がとてもステキですね。中も写真がたくさんあって、心にしみました。もちろん、詩もよかったです。最後の「夕日を見ると」という詩、泣けました。友人にも紹介します。


投稿者: ことり | 2010年07月23日 09:33

寝たきりの母の介護にむなしさを感じていましたが、少し救われました。自分の心持ちひとつで、むなしさから喜びや学びに変わるんだということを教えられました。藤川さん、ありがとう


投稿者: しもだ | 2010年08月04日 09:48

十六年パーキンソン病を患った母を昨年看取りました。現在私は39歳(女性)ですが、母の発病が早かったため、二十代半ばから、介護をすることになりました。母は数年たつとほぼ寝たきりの状態になり、最期のほうは妄想もひどかったのですが、介護をしているとき、また看取った現在もですが、私が夜中見る夢に出てくる母は不思議と車いす姿でも寝たきりの姿でもない、明るく微笑む元気な母なのです。
介護のさなか、状態がひどくなっていくのに夢の中の母さんはなぜきまって元気なんだろう、私の願望だろうかと思い、目が覚めるたびに現実にひき戻され、苦しむ日もたびたびでした。母が逝って一年。藤川さんの「まなざしかいご」に出会い、やっと胸のつかえがおりて、答えが見つかった気がします。
特に「夕日を見ると」が好きです。自分の姿と重なります。藤川さん、素敵な本をありがとうございました。


投稿者: あすか | 2010年08月13日 18:02

このたび出版されたご著書、拝読しました。
知らない世界の一部を教えていただき、
何よりも感じる心、それが暖かな「まなざし」と
なっていくのだと思いました。

・まだまだ
・母からの手紙
・二つの小石
・バス停のイス
・捨てる
・この手の長さ
・わたしの中の母
・一本の木のように
・噛む
・祈る

どれもそれぞれの思いに感動しました。
いちばんは「祈る」です。
これは藤川さんのお母さまとお父さまへの思いが感じられ、
とても、心を打ちました。

わたしは言葉がなくなったら、
身体でしか表現できないと思いました。
でもあまりにも、言葉があって当然の中にいますと、
言葉に反応し、感情をおろそかにしてしまうと
気づきました。
目に見える実在するものに、頼り過ぎると、
判断を誤るとも。
感じた想いと口に出る言葉が違う場合があります。
そのことを心したいと思います。
ありがとうございました。


投稿者: まほ | 2010年08月23日 12:56

昨日、南北海道認知症フォーラムで講演聞かせて頂きました。お母さんを想う優しい気持ち、どんなにか切なくて哀しかったことか、お母さんは、横になったまま語らないけれど、存在そのものが、色んな事を学びなさい、感じとりなさいと教えてくれているんですね。私の母はこの世からいなくなりましたが、自分の心の中に生きています。二か月余りの入院生活の末旅立ちましたが、病と闘っている中でも、我儘も言わず、弱音もはかず、いつも私たち子供の事を案じてました。  母は強し 母を見習い、恥じないよう生きていこうといつも思っています。  藤川さんの講演を聞き母の姿とだぶり、涙が流れました。


投稿者: 北のレモン | 2010年09月05日 07:21

先日の講演会で初めて藤川先生のことを知りました。詩人って・・・って思いながら、どんな話をされるんだろうと思いながら聞いていました。

ごめんなさい、最初から最後まで涙が止まりませんでした。

実は私、同居の婆ちゃんをグループホームに入居させることを、家族で唯一反対していた人間です。そんな私も婆ちゃんの幸せや自分たちのことなどを考え、最近やっと、入所を決断できたところだったんです。

そんな時に藤川先生の詩は、心の奥にしみますね。

婆ちゃんも、出入り口の扉を見ながら、どんな表情をするんだろう、追い出されたって思うだろうか、私を責めるだろうか、と考えながら、講演を聞かせていただきました。

今、心に葛藤が起きています。本当にこれでいいのだろうかと。

でも私は「これでいいんだ」と思いながら、グループホームに面談に連れていくつもりです。

また機会がありましたら、藤川先生の講演を拝聴させていただきたいと思います。
ありがとうございました。


投稿者: えり | 2010年09月05日 15:58

本日、宮崎の都城市で講演を聴かせて頂きました。お帰りの前に、少しだけお話させて頂きましたご縁に、心より感謝申し上げます。
私は、宮崎県の認知症介護実践者研修等で、認知症介護指導者として、今まで何回も先生の詩を朗読させて頂き、たくさんの研修生と共に、介護をされるご家族の気持ちを理解することについて学んできました。
そのたぴにいつも、ご家族にはそれぞれの歴史があり、想い出があり、背景があるという事を学んできましたが、本日また改めて感じた事は、ご家族の気持ちを簡単に解ったつもりになってはいけない、という事でした。
私は、仕事として介護に関わっている以上、お1人おひとりの、ご家族の代わりには決してなれないけれど、ご家族の想いを心に留め、認知症の方々に接する事で、ご家族の力を活かす事はできるはず・・改めて強くそう感じました。
講演を聴きながら、涙が止まらなかった経験は初めてでした。私にとって忘れられない1日になりました。
本当にありがとうございました。
どうぞお元気で! いつかまたお逢いできますように・・。


投稿者: まつもと | 2010年12月11日 23:42

今日は菅崎先生との神戸での講演ありがとうございました。偶然にもポートライナーでご一緒でき、厚かましくもサインまでお願いして、重ね重ねありがとうございました。
かぶりつき状態の前の席に陣取って、最初から最後までほとんど泣いていた汚い顔なのに、快くサインしていただいて・・・そんなところにも藤川さんのお人柄を感じました。ずっとお会いしたかったのです。今日のこの日を待ちわびていました。できることならアンコールで「バス停のイス」の朗読を聞かせていただきたかったです。
それから「ただ月のように」も好きです。そして菅崎先生とたぶん同じ思いで「こんな所」も好きです。医療関係者としてはたまらない気持ちになるからです。
来週の職員会議で「バス停のイス」を朗読させていただこうと思っています。私たちは実は利用者さまから支えられているのだということを忘れないように。
また藤川さんのプログ再開されること楽しみにしています。お会いできたこと、サインいただけたこと、私の宝物にします。ありがとうございました。


投稿者: まっちゃんこと、松本珠美 | 2011年02月28日 00:23

松本珠美様

昨日は、講演を聞きに来てくださって
ありがとうございました。
昨日の講演は医師の菅崎さんとの
10年ぶりぐらいの二人での講演でした。
列車の中でのサインで
字はぶれるは、
落款はひっくり返っているはで
申し訳ありませんでした。
でも、「普通のサイン」と違っていて
後々その時の状況をも
思い出すことができるかもしれません。
お許しください。
4月には大阪、6月には相生市で
単独で講演をします。
お時間があればお越しください。
ブログは今やっていませんが
「おはよう21」(中央法規)の誌上で
連載を始めましたので
お暇なときにご覧ください。
では、コメントに
心より感謝します。


投稿者: 藤川幸之助 | 2011年02月28日 10:54

初めて、藤川先生の「まなざしかいご」を読ませて頂きました。

素敵な詩を何度も読み返しております。

昨年の夏、81歳の母を見送りました。
少しずつ食道狭窄がおこり、食事がとれず、体重32kg、誤嚥性肺炎のため胃ろうを作り、2年半最後まで家族を思い、「もうあの世に行かせて。」と 静かに息を ひきとりました。
りっぱな母でした。

家族の心の支えでした。

最後まで母の介護ができたこと、とても幸せなことだと思っております。

もっと優しくしていれば良かった、もっと何かできたのではないかしら?

今は、もう何もしてあげれませんが、生きている家族が元気でいることが、母の供養になることだと思っております。

母が亡くなる数時間前に「おばあちゃんが見えた。」と言いました。たぶん、母のお母さんでしょう。

皆、守られているのですね。

介護、大変です。でもそばにいられること、幸せなことですね。

先生の本を読んで実感しました。

自分自身が、何事にも動じない大木になれるように、これからもいろいろ勉強しなければと思っております。

有難うございました。


投稿者: 原田美子 | 2011年05月29日 22:27

原田美子様

原田さん、コメントありがとうございます。
私は、鳥取→高知→岡山→熊本の
講演を終えて自宅に帰り着いたところです。

>昨年の夏、81歳の母を見送りました。
>胃ろうを作り、2年半
>最後まで家族を思い、
>「もうあの世に行かせて。」と 
>静かに息を
>ひきとりました。
>りっぱな母でした。

私は、今病院の母のベッドの横で
この返事を書いています。
母は認知症になって二十数年が経ちます。
母に言葉があれば
原田さんのお母様と同じように
「もうあの世に行かせて。」と言いたい
ときもあったのではないかと思います。
それでも、立派に生きて
未だに母はいろんなことを私に
教えてくれます。
原田さんがお母さんのことを
「りっぱな母」と言えるのは
原田さんがお母さんの生き様をしっかりと
見つめていらしたからだと思います。
それこそ、お母様から命を引き継ぐと
いうことだと思います。

> 有難うございました。

本を読んでいただき
こちらこそ
ありがとうございます。

藤川幸之助2011/05/30


投稿者: 藤川幸之助 | 2011年05月30日 19:52

藤川先生
 ご講演ありがとうございました。
また、役員の方に頼んでまでサインを頂いて申し訳ありません。今日、私の手元に戻ってきました。
とても嬉しくて感激です!!
今度、みんなに自慢しちゃいます(笑)
毎日、認知症の方々と接していますが、つらくて切ない事もあります。でも、認知症の方々の優しいオーラに包まれながら、日々、人として、自分自身が成長させてもらっています。
先生の講演の中のご両親の写真は素敵でしたね。
涙が止まりませんでした・・・。
お母様も悔しい思いを何度となくされたと思いますが、優しくて強いお父様の隣で素敵な笑顔をされていたのがとても印象に残っています・・・。

私も先生と同じような経験をしました。
愛する人が告知されてから7ヶ月で天国に旅立ちました。その時だけは、もっと、もっと二人の時間を大事にしておけば良かったって何度も何度も思いました。今度、先生の「君を失って、言葉が生まれた」を読ませて頂きますね。

今回は色んな意味で元気がもらえました。
ありがとうございました m(_ _)m
*ご多忙とは思いますが、できればココログ再開も・・・気長に待ちますね(^_^)


投稿者: 長崎に近い熊本っ子☆ | 2011年06月01日 00:12

長崎に近い熊本っ子☆様

コメントありがとうございます。
講演も聴いてくださり
ありがとうございます。

>また、役員の方に頼んでまで
>サインを頂いて申し訳ありません。
>今日、私の手元に戻ってきました。
>とても嬉しくて感激です!!

喜んでいただけて
私も嬉しいです。
長崎に近い熊本っ子☆さんの近くで
講演があるときは
私の著作を持ってらしたら
サインしますので
遠慮無く持ってきてください。

>私も先生と同じような経験をしました。
>愛する人が告知されてから
>7ヶ月で天国に旅立ちました。
>今度、先生の君を失って、言葉が生まれた
>」を読ませて頂きますね。

このコメントは中央法規のサイトを
使ってのコメントですので
少々遠慮して書かせていただきますが
「君を失って、言葉が生まれた」は
拙著の中では「満月の夜・・・」や「まなざし介護」と並ぶ傑作だと
密かに勝手に思っています。
機会がありましたら
読んでいただければ幸甚です。

>今回は色んな意味で元気がもらえました。
>ありがとうございました m(_ _)m
>*ご多忙とは思いますが、
>できればココログ再開も・・・
>気長に待ちますね(^_^)

ブログは当分書かないと思いますが
フェースブックを始めようかなあと
思っています。これも当分先のことですが。
でも、中央法規の雑誌「おはよう21」には
連載していますので
これを読んで、気長に待っていただければ
幸甚です。
では、お会いできる日を
楽しみにしています。

藤川幸之助
2011/06/12


投稿者: 藤川幸之助 | 2011年06月12日 18:01

 私の母は、89歳です。80歳で目が不自由になり、外出しなくなってから認知症の症状もあらわれて、母の家に泊りこんでの介護をしていましたが、今、グループホームにお世話になって2年目です。
 訪問しても、目を開けない母の手を握って、庭の花や孫の様子を話して帰るだけ。行ったら義務を果たしたと思い、「ほっ」としていました。
 13年前に姑も私が毎日病院に通い看取りました。続けての介護で、こういう運命なのだとあきらめたり、嘆いたりしました。
 友人に話しても真からわかってもらえないと思ったり、妹に愚痴ってばかり。
 そんな折、両親を看取った友人から「まなざしかいご」を勧められ読んでみました。
 いつも長崎新聞で藤川さんの詩と文を読ませていただいていましたが、しょうじき、お母さんに対する姿がきれいすぎて、遠い存在でした。
 今回、あまり気が進まなかったのですが、「静かな長い夜」を読んで、「何で私ばっかり、本当に人の目がなかったらこんなにするだろうか」と、こんなことを考えておられていたのですね。私も全く同じように考えていました。そこから身を入れて何度も読み返しました。
 読んでいるうちに気づいたのです。施設の帰りに「ほっ」とするのは母からいただいていたのだなと。
 手を握ってやっていたのではなく、握られていたのだな。話してやっていたのではなく、話を聞いてもらっていたのだなと。
 そういえば姑の時も病院からの帰りは、気持ちが軽くなっていたな。だから毎日通えたのだなと。
 今日からは、新たな気持ちで母に向き合えます。そして、藤川さんのように、母をまた、大好きになれそうです。
 この本を勧めてくれた友人と、この本に感謝します。ありがとうございます。
 猛暑の毎日。おからだご自愛ください。


投稿者: 楓葉 | 2011年07月20日 10:58

楓葉さん
コメントありがとうございます。
講演で北海道と岩手を回り
長崎に帰って来ました。

>施設の帰りに「ほっ」とするのは
>母からいただいていたのだなと。
>手を握ってやっていたのではなく、
>握られていたのだな。
>話してやっていたのではなく、
>話を聞いてもらっていたのだなと。

楓葉さん、いい言葉ですね
私の母は今、入院していますが
病院から帰るとき
今日も母は元気で生きていたなあ
と、思って私も「ほっ」とします。
これは、この安心感は母から
もらっていたのですね。
楓葉さんの上記の言葉が
心に沁みました。

>今日からは、新たな気持ちで
>母に向き合えます。
>この本を勧めてくれた友人と、
>この本に感謝します。
>ありがとうございます。
>猛暑の毎日。おからだご自愛ください。

この本を編集した編集者も
楓葉さんのこの言葉を読んで
とても喜んでいました。
本は私の名前で出されるので
私が一人のもののようですが、
いろんな思いで
いろんな人が関わっていて
この「まなざしかいご」も
できあがっていますが
楓葉さんのこのようなコメントを
いただくと、この本を作ってよかったと
とても嬉しくなります。
ありがとうございました。

藤川幸之助
2011/08/01


投稿者: 藤川幸之助 | 2011年08月01日 19:16

初めて投稿します。
「心地与三郎」愛用の枕の名前です。認知症で今94歳、介護度4の実母。実家から引き取って5年目。引き取って間もなくの夜寝心地が悪いと、とっかえ、引っ換えして気に入った枕につけた名前です。上手くつけたなあと二人して大笑いしました。今も愛用して安らかに寝ています。と言っても毎夜幻聴、幻覚、おしっこでゆっくり寝られません。なぜって妻を亡くした、男一人が世話に明け暮れしているからです。しかし67歳の今私の人生を大きく変えてくれました。それはどんな些細なことでも「ありがとう」とお礼とともに優しい笑顔を返してくれるからです。今でも育てられているのだなあと感謝の日々です。この笑顔と言葉を大切にしています。私の心にゆとりが生まれ寄り添う気持ちに母もゆったりとした静かな日々を送っています。おこらず、ゆっくりゆっくりな二人の毎日が流れて行きます。11月21日滋賀県に来られた時お話を聞かせていただきます。彦根市在住


投稿者: 小宮 | 2011年10月02日 01:00

小宮さん、コメントありがとうございます。

>「心地与三郎」愛用の枕の名前です。

詩人の私も脱帽のネーミングです。
「心地よさそう」のひねりでしょうが
その枕の名前に小宮さんのまなざしが感じられるところがまたいいです。
お母さんの心やその思いにに沿って
いろいろと工夫される小宮さんにも脱帽です。
私の母には病気になった最初の頃から
言葉がありませんでしたので
小宮さんのコメントを読みながら
私は母の心を小宮さんのように
大切にしてこなかったように感じました。

>しかし67歳の今私の人生を大きく変えてくれました。
>それはどんな些細なことでも「ありがとう」とお礼とともに
>優しい笑顔を返してくれるからです。今でも育てられているのだなあと
> 感謝の日々です。この笑顔と言葉を大切にしています。

哲学者・鷲田清一さんと鼎談をしました。
鷲田さん曰く
「老いの感覚は深く人間に問いかける。老いは問題ではなく、課題なのだ」と。
母には病気の初期の頃から言葉がありませんが
母はその存在で私に
「生きること」「生」「死」などについて
問いを投げかけたように思います。
そのような問いを受け取ることが
すなわち小宮さんが言っていらっしゃる
「人生を大きく変える」事なんだと思います。

> 11月21日滋賀県に来られた時お話を聞かせていただきます。
> 彦根市在住

ひこにゃんの噂はよく聞きますが
講演も、行くのも初めての滋賀県です。
心を込めて話をさせていただきます。
お会いできるのを楽しみにしています。

藤川幸之助
2011/10/04



投稿者: 藤川幸之助 | 2011年10月04日 17:24

失礼ながら、まだ、本は読んでおりません。これから、購入して読みたいと思っています。
平成24年1月13日、高知県四万十市で、初めて先生の講演を拝聴させていただきました。「支える側が支えられるとき」泣きながら拝聴しました。どうしても、お礼が伝えたくてこのような場をお借りして、コメントさせていただきます。

認知症の方とのコミュニケーション技術の中に、バリデーションという技術があります。私は、実際に研修を受ける機会を持つことができず、まだ本を読んだだけの超初心者です。
その中に、認知症の方とのコミュニケーションを行うときに、「まず、センタリングを行う」とあります。本を読んで、頭では理解したつもりでおりましたが、先生の講演を聴いて、センタリングの意味を本当の意味で理解出来ました。私の魂にストンと落ちてきました。
センタリングとは、「相手の存在を、心の奥底で感じ合い認め合うこと」だったんですね。

講演を聴きながら、ヒンズー経典の
自分が変われば 相手も変わる
言葉が変われば 心が変わる
心が変われば 態度が変わる
態度が変われば 行動が変わる
行動が変われば 習慣が変わる
習慣が変われば 人格が変わる
人格が変われば 運命が変わる
運命が変われば 人生が変わる

それから、癌患者さんの著書
「そのときそばにいて」

を思い出していました。

ありがとうございました。


投稿者: 芝弘美 | 2012年01月17日 13:14

2月23日岡山での講演会で、先生のお話を聞いて胸に矢が刺さった思いで涙がとまりませんでした。先生がお母様に認知症初期の頃の態度と私は母に同じ態度で接しているのではと・・・衝撃を受けました。自分が恥ずかしくてたまらなくまた帰り道涙がとまりませんでした。脳梗塞で2年前に突然倒れ左まひで施設にお世話になっております。まだら認知で昔の母とは別人のようです。
父の身の回りの世話もあり介護うつの手前まで落ち込んだこともありました。介護うつについてもう少しお伺いしたかったと思います。ほんとうにありがとうございました。


投稿者: 梶原恵子 | 2012年02月25日 14:20

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。なお頂いたコメントは、書籍発行の際に掲載させていただく場合があります。

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プロフィール
藤川幸之助

(ふじかわ こうのすけ)
詩人・児童文学作家。1962年、熊本県生まれ。小学校の教師を経て、詩作・文筆活動に専念。認知症の母親に寄り添いながら、命や認知症を題材に作品をつくり続ける。2000年に、認知症の母について綴った詩集『マザー』(ポプラ社、2008年改題『手をつないで見上げた空は』)を出版。現在、認知症の啓発などのため、全国各地で講演活動を行っている。著書に、『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規出版)、『ライスカレーと母と海』『君を失って、言葉が生まれた』(以上、ポプラ社)、『大好きだよ キヨちゃん』(クリエイツかもがわ)などがある。長崎市在住。
http://homepage2.nifty.com/
kokoro-index/


『満月の夜、母を施設に置いて』
著者:藤川幸之助
定価:¥1,575(税込)
発行:中央法規
ご注文はe-booksから
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