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詩人 藤川幸之助の まなざし介護

いのちの連鎖

        pappa.JPG
        Illustration by Konosuke Fujikawa

「私の中の母」

母よ
認知症になって
あなたは歩かなくなった
しかし、私の歩く姿に
あなたはしっかりと生きている
母よ
あなたはもう喋らなくなった
しかし、私の声の中に
あなたはしっかりと生きている
母よ
あなたはもう考えなくなった
しかし、私の精神の中に
あなたはしっかりと生き続けている

私のこの身体も
私のこの声も
私のこの心も
私のこの喜びも
私のこの悲しみも
私のこの精神も
私のこの今も
私のあの過去も
私のあの未来も
この私の全ては
母よ
あなたを通って出てきたものだ

母よ

私は私の中に
あなたが生きていることが
とてもうれしいのだ

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CA3C0078.JPG
phote by Konosuke Fujikawa

 先月の終わり北海道の大空町、置戸町、訓子府町で講演をした。四国の面積の2倍が九州で、そのまた2倍が北海道ですよと、地元の方に聞いた。広いだけあって、町と町との移動に時間がかかる。地図を見ると隣町だし、講演会の主催者の方に聞いても「すぐそこですよ」と言われるので、10分程度の移動だと高を括っていたら、40~50分は移動にかかると聞いて驚いた。移動しながら、道が曲がることなく直線で延々と続く様を見て、広大無辺とはこのことだと思った。平地の少ない長崎に住む私とは、広さや時間についての感覚が違ってくるのも当たり前だ。その上、九州で生まれ育った私には、一面に広がる真っ白な雪の世界は感動の連続で、車を止めてもらっていちいち写真を撮るものだから、とにかく移動に時間がかかった。
 その講演会で、90歳のおばあちゃんに付き添っている「60歳の方」の話をした。「60歳の方」と括弧書きで書くのには理由がある。この話の中で、90歳のおばあちゃんに付き添っている「60歳のおばあちゃん」と言っていた時があった。ある講演会場で、「60歳はおばあちゃんではありません」と怒られてから、「60歳の方」と言うようになった。そして、その時以来、講演中にこの話をして、「それじゃ70歳はおばあちゃんですか?80歳はどうでしょう?90歳は?」と聞くようにしている。名古屋での講演後の懇親会でお医者さんが「藤川さん、おばあちゃんという言葉自体が死語なんですよ」と言っていた。勿論講演中にそれに答えてくれ人は皆無だったが、思いも寄らない時にその質問への意見を聞いた。
 講演が終わって長崎へ帰る日、講演会の主催者の方が、「私たちには当たり前の景色ですけど、そんなに美しいですか?車で写真撮影に付き合いますよ。」と、女満別空港から飛行機が飛び立つ直前まで、朝早くからご家族で私をいろんな所へ連れて行ってくださった(今日の写真はこの時に撮った写真。最高に良い撮影ポイントだと思って撮ろうとしたら、カメラの電池が切れ携帯で撮った写真。私の場合良いときに、こんなことが多い。とほほ。)その車中その方から「90歳も(おばあちゃん)と呼んではいけませんよ。自分の母親がおばあちゃんと呼ばれたら、変な感じがします。私にとってはどれだけ歳を取っても、母は母なんです。90歳の方と呼ばなきゃ」と。確かにそうかもしれない。私も同じような経験があった。私の母を見ながら「おばあちゃんは、肌が白くて若い頃は美人だったでしょう」と褒められたことがあった。それを聞いたとき、褒められた内容よりも「おばあちゃんて誰のことだ」と一瞬分からなかった。80歳も過ぎれば一般的には「おばあちゃん」なのだけれど、私にとってはいつまでも母は母なのだと改めて思ったことがあった。
 講演を終えて長崎に帰ってきた。自宅近くのバス停で重い荷物を抱えバスを降りると、心がホッと落ち着くのが分かった。見慣れた景色、肌に感じるいつもの空気、帰ってきたと思った。もともと長崎は生まれた故郷ではないけれど、大学生の頃から住んでいる町。私にとってこの長崎という町は故郷になっていると思った。母の入院する病院へ向かい、母へ「ただいま帰りました」と、お土産のキューピー人形を渡した。そういえば、母が熊本の施設に住んでいたときも、母の許に行くと「お母さん、ただいま帰りました」と言っていたことを思いだした。母こそが私の故郷なのだろう。母がいなかったら、私もこうしてここにはいないのだから。
 母を一本の木だとすると、私はさしずめその木から芽吹き、その木に育てられている一枚の葉だろうか。一枚の葉を見ると、その葉脈とその葉の繁る木の枝振りは驚くほど似ている。私という一枚の葉の中にも、その母である木の枝振りが葉脈として刻まれているに違いない。母もまたその母から生まれた一枚の葉。「母というもの」を刻印しながら命は脈々と連なっていく。葉である私は、いつかその母である木から離れ、枯れ、その根元で朽ち、また母である木に還っていくのだ。長崎へ帰り、その日はぐっすりと眠った。故郷に包まれながら、母に包まれながら、深い眠りについた。

◆紫陽花さん、コメントありがとうございます。「私国語苦手でコメントの文間違いがありましたら教えて下さい。勉強します。」と、紫陽花さん。私も、小学生の頃から国語が苦手です。作家で詩人だから、国語が得意で言葉のことは何でも知っていると思われがちです。しかし、ここだけの話ですが私は読むのも書くのもあまり好きではないのです。教員の免許も数学の教員です。先日、私の詩が模擬試験の問題になったと、私の許にその問題が送ってきましたが、全問正解はできませんでした。私が書いた詩なのにこんな感じなのです。ほとほと情けなくなります。『隠語大辞典』は28000円もします。面白いのは、面白いんですがとにかく1700ページのやたらと重い本なので、疲れているときは引用したくても書棚から出すのが面倒になります。

◆まほさん、コメントありがとうございます。
「お写真も素晴らしいですね。大きなものに、守られている気がいたします。」と、まほさん。私は熊本県の球磨郡の湯前町というところで生まれました。市房山という九州では3番目に高い山があってそこに行くと、とにかく天につながっていると見まがうばかりの木が何本も立っています。その木に触れると、木が生きているのが分かります。そして、抱きしめたくなります。抱きしめると、何か力をもらっているような気がします。言葉ではないもので、私は包まれているような感じがします。私の詩や文や絵に木が沢山でてくるのは、この幼少の頃の経験があるからです。

◆ぷーさん、コメントありがとうございます。
「最近辞書を引くことが減りました。パソコンに携帯等を使うことが増えたためでしょうか。手紙を書くようにしています。必然的に辞書を引いています。間違った字は失礼かなと思い。物忘れ対策の一つでもあるのですが・・・」と、ぷーさん。私も全く同じです。この頃、テレビで「間違いだらけの日本語」なんて番組や書籍で「間違った用例」なんて見ると、見識のない私にとっては文や詩を書いたときなど、あまりの見識のなさに私の文を読みながら笑っている人がいるのではないかと、不安になります。恥ずかしい話ですが、「れる」「られる」を使うとき、ら抜き言葉なんていいますが、どうも私にはそのへんがよく分かりません。分からないので、いつも「れる」「られる」を使わずに、他の言葉で表現しようと試みます。これも、ぷーさんと同じく頭の体操になっています。


コメント


こんにちは、暫くお邪魔できなくなりました。姑が風邪を引き自宅看護になり時間が作れなくなりました。手元に本が届きました。看護しながら読ませていただきます。とても楽しみです。

「満月の夜、母を施設に置いて」とても表紙の素敵な本ですね。

「手をつないで見上げた空は」この本も切り抜き風に成っていて素敵です。

又お邪魔させていただきます。ヽ(^o^)丿


投稿者: 紫陽花 | 2010年03月04日 18:16

藤川さん、こんばんは。わたしは「おばあちゃん」という呼び方、違和感ありません。実際、わたしが60代になっても、そう呼ばれたいです。現に自分の母のことをおばあちゃんって普通に言っています。人には「母」がと言いますが、普段、(子が呼ぶように)おばあちゃん・おじいちゃんです。性格がかわいいおばあちゃんを目指していますし、入院中も○○おばあちゃんと呼び、おばあちゃんは孫のように接してくれました。赤ちゃん、幼児、少女、娘さん、お嫁さん、おかあさん、おばあちゃんは人間の姿の経過だと普通に思っているので、逆に驚きました。じゃあ、いったい若い人とどう区別するのかなあって、思いました。家族にも聴いたのですが、わたしと同じ意見でした。感じ方の違いなんですね。おばあちゃんと言うやさしい響き、好きですけれど…。


投稿者: まほ | 2010年03月05日 20:13

お久しぶりです
藤川さんの新しい詩集ができましたら、ぜひ
朗読させて下さい
出版記念講演会&朗読会には、私が朗読すると
勝手に決めております
また素晴らしい時間をいただければと思っております
お目にかかれる日を期待と共にお待ちしております
坂本永子


投稿者: 八王子市 坂本永子 ストーリーテラー | 2011年02月02日 19:16

坂本さん、こんにちは。
書き込みありがとうございます。
講演会では、
私の詩の朗読ありがとうございました。
一年ほど前に書いた文でしたので
誰も読んでいないだろうと
思っていましたら
坂本さんに読んでいただいて嬉しいです。

>出版記念講演会&朗読会には
>私が朗読すると
>勝手に決めております。

ありがとうございます。
私は、今まで
出版記念会なんてしたことがなく
これからもすることもないと思いますが
もしも、私が何かの間違いで賞を取ったり
文豪になることになりましたら
よろしくお願いいたします。

八王子での朗読は心に沁みる朗読でした。
ありがとうございました。

藤川幸之助
2011/02/03



投稿者: 藤川幸之助 | 2011年02月03日 11:43

先日の研修会で、菅崎先生との対談を拝聴しました。泣き虫の私は、涙ながらに聞いていました。

私はケアマネジャーをして8年になります。
私の母は73歳で四肢麻痺、アルツハイマー型認知症で8年半の闘病を経て、3年前に亡くなりました。
30年前、姑が認知症で徘徊しましたが、その時も結局は昔の精神病院に入院し亡くなりました。
親族が多く、皆、看護師やケアマネジャーなど、福祉職についています。

孫が自閉症だったり、娘が児童養護施設に勤めていたりと。。いろいろありますが。。

それぞれの花を咲かせて欲しいと思います。
近年、認知症の方を担当することが増えました。精神科医と連携をとりながら、家族さんや、利用者さんに寄り添っていけたらと思っています。


詩や文章を書くことが好きで、感動しつつ、尊敬させていただきました。。
感動を伝えたくて、投稿させていただきました。明日からまた、仕事に励めそうです。。
有難うございました。


投稿者: 紫の上 | 2011年03月01日 16:54

紫の上さん、コメントありがとうございます。講演も聞きに来てくださって、講演会で感動してくださったとのこと、とても嬉しい感想をありがとうございます。私も、紫の上さんの励ましを胸に、今日からまた、詩作に講演にと頑張っていきたいと思います。心より感謝しています。


投稿者: 藤川幸之助 | 2011年03月02日 11:07

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。なお頂いたコメントは、書籍発行の際に掲載させていただく場合があります。

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プロフィール
藤川幸之助

(ふじかわ こうのすけ)
詩人・児童文学作家。1962年、熊本県生まれ。小学校の教師を経て、詩作・文筆活動に専念。認知症の母親に寄り添いながら、命や認知症を題材に作品をつくり続ける。2000年に、認知症の母について綴った詩集『マザー』(ポプラ社、2008年改題『手をつないで見上げた空は』)を出版。現在、認知症の啓発などのため、全国各地で講演活動を行っている。著書に、『満月の夜、母を施設に置いて』(中央法規出版)、『ライスカレーと母と海』『君を失って、言葉が生まれた』(以上、ポプラ社)、『大好きだよ キヨちゃん』(クリエイツかもがわ)などがある。長崎市在住。
http://homepage2.nifty.com/
kokoro-index/


『満月の夜、母を施設に置いて』
著者:藤川幸之助
定価:¥1,575(税込)
発行:中央法規
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